Ablismという考え方、多様な「Diversity」というテーマ

Ablism (Able + ism)という考え方

「留学生向けオリエンテーション」の投稿で少し書いたDiversityの話の続き。

月曜日27日の入学式の直後びHGSE全体のイベント「Engaging in Inclusive Dialogue」では、10人づつのグループ内で、入学式でHehir教授が話してくれたDiverstyに関するスピーチについてディスカッションをしました。

先日の留学生向けオリエンテーションの時のDiversityは国籍や人種の観点からのDiversityでしたが、Hehir教授が話していたのはSES (Socioeconomic Status)におけるDiversity、宗教的なDiversity、性的性向におけるDiversity、身体的+知能的特徴に関するDiversity、と様々でした。

そんなHehir教授がご自身の体験を基に紹介してくれたキーワードに「Ablism」というものがありました。これは彼がクリントン政権時代に深く関わっていたIDEA (Individuals with Disability Education Act)政策立案に唯一の「頑健な身体を持つ人間」として参加した時に彼自身が学んだ言葉なのだそう。

とある会合で彼が何らかの発言をしたときに、その場にいて「障害」を抱えた残りの人達に「That is 'Ablism'」と指摘されたのだとか。無意識のうちに頑健な身体を持つ人間を優先する差別的な考え方、つまり障害を抱えている人達を「●●が欠けている」または「不足している」または「治すものがある」といったように捉える姿勢を Ablismというのだとか。

私達のグループにはたまたま重度の知的障害を持っていらっしゃる(既に「障害」という単語を記載することが先日ブログに書いた「Student of color」と呼ぶことと同じことをしている気がして嫌なのだけれども)弟さんを持っている子がいたので、自分達のグループでは様々なDiversityの中でも身体的+知能的特徴に関する話に重点が置かれました。

私は日本で3回ほど体験したDialog in the Darkの話を共有。DIDはグローバルに展開しているにもかかわらず同じグループには知っている人が一人もいなかったことがやや驚きでしたが、皆とても興味を持ってくれ、ニューヨークなど米国でも開催されているという事を知った別の友人は休暇中に行ってみると言っていました。(残念ながらその後ハリケーンでニューヨークにあったDIDは閉鎖)

見えている事、聞ける事、自由に無意識のうちに手足を動かせる事、そうできてしまう事で気付くことのできない可能性や知り得ることのできなかった発見が世の中に実はたくさんあるということ。今の私が知らない世界を「Individual with Disability」の方々はたくさん知っている。そんな事を皆で話合いました。

ちなみに他のグループでは人種のDiversityを議論していたところが多かったらしく、別の日にこの話をすることがあったフランス人の子もデンマークの子も相変わらずそれぞれ強い違和感を持っていました、笑。「留学生向けオリエン」の投稿に書いたのと同じこと。要は''Student of color''なんて敢えて切り分けて話すアメリカ人の姿勢が彼らには理解不能だということ。特にこのトピックに限らず欧州系の子達のアメリカ流思考+方法に対する一歩引いた考え方が色々あって面白いです。

そんな流れで今朝、私の好きな石倉洋子先生のブログを通じて知ったロンドンパラリンピックの開会式のダイジェスト版を観ました。ばたばたしてて全然ライブで見れていなかったのですが、土曜の朝から鳥肌がたちました。

Photo by Luca Upper on Unsplash