乱射事件から考える3つのこと

期末のまっただ中に発生したコネチカットの銃乱射事件。ちょうど同じ週にルームメートの地元のショッピングモールでも銃乱射殺傷事件が起きたばかりで敏感になっていたこのタイミング。去年7月にノルウェーで起きた事件の発生を速報で聞いたときと同じくらいのショックを受けながら速報ニュースを追った。

ノルウェーの時と同様ツイッターやインターネットで探せば探すほど逐一新しい情報が流れてくる。衝撃の度合いが大きい事件であればあるほど色々な情報が飛び交い、ネット上の混乱度合いも大きい。

事件発生から2日ほどが経ち、今となっては色々な情報がどんどんと整理されていて、犯人の動機以外の部分は多くの人が知るところとなっている。(Wikipedia「サンディフック小学校中乱射事件」小学生20人を含む26人が死亡)

今回の事件についてfacebook上のコメントや学生同士の会話、ネットでのカバレッジを見ていて感じたのは3つのこと。
  • 一つはメディア、情報に関する話
  • 一つは銃規制に関する話
  • 一つは犯人の精神状態、心の病などに焦点をあてた、事前に防ぐことはできなかったのか、など社会の仕組み全体に関する話

①メディア、情報に関する話

一点目は今回メディアが当初犯人のお兄さんの名前を間違えて犯人として報道してしまったことから始まる。

死亡した犯人が持っていたIDから本人ではなく本人のお兄さん(犯人の両親はしばらく前に離婚しておりお父さんとお兄さんは別の州に住んでいた)の実名が流れてしまい、初期の報道では「兄弟での犯行で一人は死亡、一人は拘束」と誤解されるようなものも流れていた。

お兄さん本人は大手コンサル企業につとめていて事件当時も仕事中であったようなのに、あっという間にお兄さんのfacebookも炎上してしまい「僕じゃない!」といった投稿を本人が流す事態に発展してしまっていた。

また情報が駆け巡るのはあまりにも早く、犯人の父親が今回のニュースを知ったのは自宅の近所にいたマスコミの取材班からだったという。何も知らなかった父親はうろうろしていた取材班に対し車の窓をおろしながら「どうしました?may I help you?」と声をかけたことから事実を知ったのだという。警察ならともかく全くの他人に聞かされ、またその衝撃の表情を見られてしまったという状況、酷だな、と思う。

そして事件発生当日の午後3時にはオバマ大統領の記者会見。(涙に目を赤くさせながら大統領は追悼の意を表明)(このビデオを見ながらロムニーが大統領になっていたらこのような記者会見になっていたかどうか、などとふと思ったり)

亡くなった方の名前が判明すると共にその写真や関連エピソードも次々とメディアはトップページに掲載。亡くなった方の妹による嘆きのツイートがメディアに掲載されたり、亡くなった先生のツイッターのつぶやきや生前の写真が掲載されたり、今回はfacebookやtwitterのスナップショットが大手メディアの記事の中でたくさん紹介されていたな、とも感じた。

事件発生後1日以内には亡くなった子どもの家族のために家族の友人達が立ち上げた基金用のfacebook pageもいくつか立ち上げられており(ここがアメリカらしい)その子達のfacebookを見ると生前のかわいらしい写真がたくさん掲載されていてただただ心が痛む・・亡くなった方々の心からのご冥福をお祈りします。

情報が駆け巡るのは本当にはやい。

②銃規制に関する話

Washington Postが2012年に起きた銃に関わる事件のインフォグラフィックスを作成している。

今年の7月に映画館で24歳の学生(奨学金などをもらえるくらいの超優秀な学生であった一方で博士課程のプログラムを中退しようとした最中の事件だった)による12人殺害が記憶に新しいアメリカの銃による殺傷事件。こうやってみると本当にたくさんの銃による殺傷事件が今年起きている。

Economist誌に寄せられたコメントでは「銃廃止」にしない限り多少の「規制」では何も解決しないだろう、とある。一方で既に3億弱もの銃が民間人によって所有されているこの国においてそれは現実的ではない。

今回の件で銃規制に関する議論がワシントンで再び注目を浴びているようなのでこれがどういった方向に進むのか気になる。が、今までの繰り返しだとすると事件後に話題にのぼったとしても大きな変化はあまり期待できない。。。この件についてアメリカの世論は
あまりにもバラバラすぎる。ほぼ半分の人が銃規制に反対だからだ。日本で生まれ育ち、銃から遠い世界で生きて来た自分からは理解がしにくい価値観がこの国の根底に流れている。

ちなみに、今回の犯人の母親(学校での殺害の前に犯人は既に母親を自宅で殺害)は「趣味で銃を収集していた」ようで、自分の子どもがこういうことを起こす可能性があったかどうか知っていたのかどうか、銃の保管状況はどうだったのか・・・疑問はまだたくさん残されている事件となっている。

③社会の仕組みに関する話

この最後の点に関しては私の属するコミュニティ=教育学部の生徒(半分以上が教師経験者)だからこそ話題にのぼるポイントだと思われる。

今回の事件の詳細はまだ不明であるものの、今までアメリカの銃乱射事件に走る加害者の多くは後に心に病を抱えていたと説明されることが多い。周囲に助けを求めることができず、周囲に心の闇を気付かれず(気付かれていても誰にも手を差し伸べられず)最後のきっかけで爆発するまで独りで苦しんでいた人達が多い。

そういった最悪の場合になる前に親を含む周囲の大人が何かできることはなかったのか、同世代の仲間ができることはなかったのか。そういうことに敏感になり、助け合うような
社会になっていないのはなぜか。そういうことを私の周りの人は語り合ったり、Facebook上に意見を述べたりしていた。

教育に携わる者として自分達ができることは何だろうか。今回の事件の話を聞き、改めて自分達がするべきことを考えなければならない、そういったfacebookのコメントを投稿していた友人もいた。


       Photo by Maria Lysenko on Unsplash

 アメリカ人の友人は私と私の横にいた韓国人に対して「アメリカが世界一このような悲惨な事件が起きる確率が高いのは親のあり方、(自分のこと以外に無関心な人の多い)社会のあり方があると思う。日本や韓国ではこんな事件ないでしょう?」と言ってきた。ちなみに彼女は銃規制に反対派。違うところに課題解決のポイントがあると信じている人だ。

日本でも韓国でも「むしゃくしゃした」理由で人を殺害する人はいるし、近年物騒な事件も増えている。アメリカで悲劇の度合いが大きくなる傾向があるのはやはり銃が「衝動」を抱いてしまう人の近くにある確率が高いからだというのが私の仮説。韓国人の友人も「銃規制があれば少しでも被害を少なくできるはず」と伝えていたから似た考え方だったと思う。

けれどもそれを聞いたアメリカ人の友人は「銃以外の武器で同じことが行われるだけ」と
銃規制反対の姿勢を変えていなかった。彼女は引き続き「アメリカでは一国の
未来を形作る上で一番重要な『親』と『先生』が最もaccountableじゃないという状態になっている」「親がどうあるべきか、先生がどうあるべきか、そういう議論をするべきだし、既存の親も先生も「教育」をし直し、これから親/先生となっていく人に向けても今まではなかった形で教育を提供していかないと本当に大変な社会になってしまうと思う」、とあくまでも「銃」ではないところにフォーカスを当てた意見を述べていた。

特に「親」に関しては「私の自由でしょ」ということで深く考えずに子どもをつくり、産み、自己流に育てている親がとても多いのだとか。

子どもも一人の独立した人間と考えるとそういう考え方が許されていいのか、という話を大学時代、哲学の授業で取り上げられていたらしい。「親になるのを認可制にするのはどうか」なんていうびっくりするようなトピックをあえて議論にあげてクラス全体でディスカッションもしたらしい。

日本でも近年親による子どもの育児放棄や子どもに対する暴力、子どもの餓死などのニュースが出ることが増えて来たけど背景にあるのは彼女がアメリカに対して言っていたことが少なからず関わっているのかも、とふと思ったりした。

ちなみにThe Strange Country - Japanという動画 を先日見たばかりでもあり、日本での高い自殺数の話も記憶に新しい。(自分がメンタルヘルスの勉強をしたときは3万だったはずだった年間自殺者数がここでは3万5千に・・)

アメリカの話に戻って・・「個人の権利」を何よりも重視するこの国の人々。上記のコメントをしたような彼女と似た考えをもつ人(「銃規制は根本的な解決策でないので反対」派の人)が多数いる限り、他の(例えば心の病への対応、サポートを提供し合えるコミュニティづくりの施策、親となった人・なる人への教育)方法でこのような悲劇が繰り返されないような社会づくりをすることが求められるのだと思う。

今回の事件を通じてアメリカという国の色々な側面に触れたような気がする。
まずは同じような悲劇が繰り返されない事を本当に心から祈るばかりだけど。