精神科医からのメッセージ

同僚がfacebookで共有してくれたおかげで読む機会のあった以下の記事。

とても示唆に富む内容で教育を含む幅広いテーマにつながっていると思ったので紹介。


毎年自殺者が三万人を超えるという異常な自殺大国日本。最近は就活自殺という単語もメディアで使われれているのを海の向こうから知り、日本はいったいどうなっちゃうんだろうと思ったりしていたところ。

泉谷先生が言っていることは別に日本という国のみならず「なんかうまく効率的にやった者勝ちという薄っぺらな価値観」に冒される危険のある、変化のスピードが速く、インターネットを通じて色々な情報が飛び交う今の時代においてとても重要な気がする。

問題が起きてからではなく起きる前に早い段階で対応するべき、という泉谷先生のメッセージ。今の10代ー30代に多く見られる「新型うつ病」、先生はこれは「遅れてやってきた反抗期」ではないかと指摘する。反抗期が特になかった気がする自分としては内心ドキリとする内容。

治療の段階で先生が強調するのは「なぜ具合が悪くなったのかの意味」を考えること。特に「親の引力圏」から脱出できていない人には「自分で考え、正しく判断できる力を育てる」ことを意識しているとのこと。

こういう「新型うつ病」が台頭してきた背景には「現代の教育やしつけがシステマティックになってきたことの弊害」がある、という泉谷先生。人生を味わうために大切な「スキマや遊び(時間的・空間的・人間的)」が減ってきたことが原因の一つではないかと。自分が以前ここにも書いているEGAKU Workshopに心底惚れ込んだのも、そのパワーを信じているのもそれがそういう「スキマや遊び」に飢えている大人にピッタリだと思っているから。

「何が本当の幸せか」
「健全な人間の成長とはどういうことか」を掘り下げる重要性。
「生きる意味、働く意味、結婚する意味」に向き合うことの重要性。

先日Social Enterprise Conference 2013に参加したばかりだったのでそこともつながることもあり。年齢的にも周りに「働くこと」「結婚すること」について考えている友人が多いので特に色々と引き寄せて考えて感じることが多いのかもしれない。

そして自分が一番大切だと思うのが子を持つ親に対して先生が言っている「子供を信じること」というメッセージ。最近授業の課題のために調べ物をしているレッジョエミリアアプローチの幼児教育のあり方ともシンクロする点が多い。信じることと放任主義を取ることは全く違うけどきっとそのバランスが難しい。でも「信じる」前提でいるかどうかによって子供への接し方は天と地も異なったものになるのでは、と思ったりした。

ちなみにこの記事は「未病」の視点から精神科医の先生が発信された内容。教育でも「未病」的な考え方は重要と最近特に感じている今日この頃。自分のいる大学院ではachievement gap(親の所得格差や住んでいる地域や民族に起因した学力の格差)の克服や何らかの必要性から生じる教育ニーズに関する分野に注力している人が多い。そういう取り組みが重要なのはもちろん理解している一方で、今学期に履修している「幼少期の環境がその人間に中長期的に与える影響について学ぶクラス」で学ぶほど幼少期の環境整備の重要性を痛感している。思春期、または20代の大人になってから学力のみならず胆力やメタ認知能力を含む「人間力」を強化しようとするのではなく、critical periodといわれる多感な時にできる限り子供に発達の機会を与えることが重要なんだ、と再認識中。(20代前半に飲酒していたことを反省することにもつながったり。。。▷脳細胞へのダメージ)

国連World Economic ForumでもEarly Childhood Educationの大切さを近年強調し始めているし、今週のオバマ大統領によるスピーチでも就学前の教育へ注力していくことが明言された。それ自体は素晴らしいことだけれども単なるschool readinessのための幼少期教育にならないでほしいと切に願うばかり。ABCや123を教えるのも大切だけどsocio-emotionalな発達を意識した教育も大切だと思うから。(例えば先日紹介した子供向けワークショップCANVASのイベントなどはもっと多くの人に存在を知ってもらいたい、3月9日と10日は注目

「子供のために」と大人が提供しているものが本当に子供のためになっているのか、子供の人生にとって本当の幸せとは何か。同時に自分の人生の幸せは何か、と大人側も考え続けることが大切だな、と感じます。最近はlife long learnerとしての大人によるリフレクションの重要性(HBRでも瞑想の重要性に関する記事がいくつかでています)や学びを提供する側である教師同士のリフレクションの重要性(子供に提供している内容や手法に関してPDCAを回すことが重要であるため)にたどり着くことが多いです。

今回の記事も同じように「ちょっと立ち止まって答えのない問いに向き合う」ことの大切さを学んだ気がします。



後日追加:2014年3月の記事、こちらも似ている話だと思いました(ハフィントンポスト日本版より)「なぜ、子どもに最高の学習内容・環境を与えることが問題なのか?」