「最近気になっているキーワードって何?」
色々なご縁が重なってつながった「シカゴー東京ーボストン」の仲間
3人でkickoffスカイプミーティングを先々週の金曜の夜にしていた中で
でてきた会話。
私以外の二人が選んだキーワードはそれぞれ「集合知」と「統合思考」
私が選んだキーワードは「アンラーニング」
教育学部に入学して8ヶ月強の間に色々なインプットがあり、自分の
興味範囲と向き合う多くの機会がありましたが、最近はこのようなテーマに
改めて興味が戻ってきているように感じています。
ここで私が考えている「アンラーニング」は
・既存の(自分の)考えのあり方を意識する
・新しく入ってくる考えに対して心を開く
・そのために、今まで信じていたものの一部を手放す
といったメカニズムです。このような体験を促進するような
環境(きっかけ)のデザインに興味があります。
HOWとしてはワークプレイス空間デザイン(学部で学んだこと)や
研修という日常を離れた学びの場所のデザイン(留学前関わっていた仕事)や
ITの利活用を含んだ学びの機会の提供(今学んでいること)を含めたものが
面白そうだ、と感じています。
アンラーニングに必要なのはリフレクション(振り返り、自己との対話、内省・・)
そしてそのリフレクションに充てる時間を効果的なものにするためには
上記のような外部環境における仕組みやデザイン以前に
個人の「メタ認知力」が重要だと思っています。
※メタ認知とは「認知についての認知」つまり自分を客観視することを指します。
教育の文脈でいうとメタ認知出来る人は自己学習力が高かったり、または
何かを学ぶときに熟達するのが早かったり、という研究結果が色々と
指摘されています。
↑のような「何か新しいことを学ぶとき」のメタ認知力の重要性はもちろん
なのですが「新しいことを学んでいる」と意識されていない場面でも、
日々の様々な体験全てがメタ認知をする対象となり得、そしてそれを
しているか、していないかが、その人の人生に少なからず影響を
与えているのでは、と最近感じています。(先日ブログに書いた
Conceptual Changeはカリキュラムデザインの観点の話ですが
関係する話です)
例えば全く同じ体験をしているはずの個人でもその経験からの学んだものの
幅/深さや次の経験への応用の可能性に差があるのはどうしてだろう、という疑問。
これは個人間に存在するメタ認知力の差なのではないかと思ってしまうのです。
自分の周りで常に盛り上がる話題の一つに恋愛トークがありますが、
恋愛といった「人生経験」もメタ認知ってあなどれない、と女子トークを
聞きながらぼんやりと思ったりすることが増えてきました・・・
アラサーくらいになると皆そこそこ経験を積んでいて、
それぞれの癖みたいなものも確認する機会となったエピソードをいくつか持っている。
でもそのプロセスを繰り返す子、毎回似たような結末に辿り着く子
自分の癖を意識して強い意志で未知の世界にチャレンジする子、色々いるのは
何が違うんだろう、と感じていて・・。これもやっぱり自分の癖に気付いて
それに向き合う、または意識的に変えようとするかどうかの世界。
つまりベースにメタ認知力があるのではないかな、と思い始めていたところです。
もちろん恋愛のみならず、ソーシャルネットワーク上での自分の出し方とか、
就職/転職の際の選択の仕方、家族との接し方、仕事というものに対する
向き合い方、情報収集のあり方、読書、アート鑑賞・・・自分の考え方や
感じ方に向き合い考える機会は周囲にごろごろあふれています。
HOWとしてはワークプレイス空間デザイン(学部で学んだこと)や
研修という日常を離れた学びの場所のデザイン(留学前関わっていた仕事)や
ITの利活用を含んだ学びの機会の提供(今学んでいること)を含めたものが
面白そうだ、と感じています。
アンラーニングに必要なのはリフレクション(振り返り、自己との対話、内省・・)
そしてそのリフレクションに充てる時間を効果的なものにするためには
上記のような外部環境における仕組みやデザイン以前に
個人の「メタ認知力」が重要だと思っています。
※メタ認知とは「認知についての認知」つまり自分を客観視することを指します。
教育の文脈でいうとメタ認知出来る人は自己学習力が高かったり、または
何かを学ぶときに熟達するのが早かったり、という研究結果が色々と
指摘されています。
↑のような「何か新しいことを学ぶとき」のメタ認知力の重要性はもちろん
なのですが「新しいことを学んでいる」と意識されていない場面でも、
日々の様々な体験全てがメタ認知をする対象となり得、そしてそれを
しているか、していないかが、その人の人生に少なからず影響を
与えているのでは、と最近感じています。(先日ブログに書いた
Conceptual Changeはカリキュラムデザインの観点の話ですが
関係する話です)
例えば全く同じ体験をしているはずの個人でもその経験からの学んだものの
幅/深さや次の経験への応用の可能性に差があるのはどうしてだろう、という疑問。
これは個人間に存在するメタ認知力の差なのではないかと思ってしまうのです。
自分の周りで常に盛り上がる話題の一つに恋愛トークがありますが、
恋愛といった「人生経験」もメタ認知ってあなどれない、と女子トークを
聞きながらぼんやりと思ったりすることが増えてきました・・・
アラサーくらいになると皆そこそこ経験を積んでいて、
それぞれの癖みたいなものも確認する機会となったエピソードをいくつか持っている。
でもそのプロセスを繰り返す子、毎回似たような結末に辿り着く子
自分の癖を意識して強い意志で未知の世界にチャレンジする子、色々いるのは
何が違うんだろう、と感じていて・・。これもやっぱり自分の癖に気付いて
それに向き合う、または意識的に変えようとするかどうかの世界。
つまりベースにメタ認知力があるのではないかな、と思い始めていたところです。
もちろん恋愛のみならず、ソーシャルネットワーク上での自分の出し方とか、
就職/転職の際の選択の仕方、家族との接し方、仕事というものに対する
向き合い方、情報収集のあり方、読書、アート鑑賞・・・自分の考え方や
感じ方に向き合い考える機会は周囲にごろごろあふれています。
やっかいなのはこのメタ認知の対象となる私達の「考え方や感じ方」って
年齢を重ねるにつれて磨かれて強化されて(反射的なものにもなりやすい)
いくるものであり、相当意識しないとこの「思考の重力」に自分が
引っ張られていることに気付くことすら難しくなっていくことです。
ということで「メタ認知をベースとした大人のアンラーニング」は
世の中にたくさんある「言うのは簡単で大切さも分かっているけど
実行するのは難しい」ものの一つだと思うのです。で、それを実行する
ことを可能にするメタ認知力というスキルは今の時代(刺激の源となる
知識に触れる機会や、学びの源となりうる経験を重ねる機会が手を
伸ばしたところにたくさん存在している時代)に重要なのでは、と
感じています。「アクティブノンアクション」の罠も至る所に
存在する現代社会において、なおさら重要性を増しているのではとも
感じます。
年齢を重ねるにつれて磨かれて強化されて(反射的なものにもなりやすい)
いくるものであり、相当意識しないとこの「思考の重力」に自分が
引っ張られていることに気付くことすら難しくなっていくことです。
ということで「メタ認知をベースとした大人のアンラーニング」は
世の中にたくさんある「言うのは簡単で大切さも分かっているけど
実行するのは難しい」ものの一つだと思うのです。で、それを実行する
ことを可能にするメタ認知力というスキルは今の時代(刺激の源となる
知識に触れる機会や、学びの源となりうる経験を重ねる機会が手を
伸ばしたところにたくさん存在している時代)に重要なのでは、と
感じています。「アクティブノンアクション」の罠も至る所に
存在する現代社会において、なおさら重要性を増しているのではとも
感じます。
に自分が共感するのも、このテーマに全てつながっているから、
そう考えるようになりました。
そう考えるようになりました。
こんなことを考えている状況で、
先週金曜の「Applying Cognitive Science to Teaching and Learning」の
授業テーマが「メタ認知力」でした。
先週金曜の「Applying Cognitive Science to Teaching and Learning」の
授業テーマが「メタ認知力」でした。
(いかに「メタ認知力」を育てる学びの場をつくるか、というテーマ)
事前課題の読み物の内容と授業の内容を次にまとめようと思います。