発信してくれる人に感謝感謝の「Aha!」
最近「コミュニティ」というものを考えることが多いのですが、どんなコミュニティでも発信する人の存在って重要だな、と思います。特に企業のような「学習する組織」であることが従来よりも一層求められているコミュニティであればなおさら。
それにちょっと関連する話。今日は今働いているNPOというコミュニティ内で共有された話とそこを出発点に自分が考えたことを書いてみようと思います。
今いるNPOは70名弱ほどの組織ですが、NYオフィスには20−30名の人が働いています(今はサマーインターンが10人ほどいます)。毎週月曜はNYオフィスの社員全員が参加する
定例ミーティング。そのミーティングでは毎回最後に自由な「Aha!」共有の時間が設けられています。
その場にいる誰でも良いのでその前の週または週末の間に見たり聞いたりして「Aha!」と感じたこと、自社・自分達に引き寄せて考えたことを仲間の皆に共有します。
今日は一人の社員の方が以下のフリードマンの記事(NYTより)を紹介してくれました。 Takin' It to the Street by Thomas Friedman (June 29th, 2013) New York Times
もちろんこの記事を読んでいなかった私にとって記事の存在を教えてもらっただけでも「Aha!」でしたが、内容をじっくり読んで得た学びも「Aha!」となりました。
今日は仕事中「学び」の三大pedagogy(考え方、手法)であるbehavorism cognitive/social constructivism/connectivismのことを調べていたのですが、これこそsocial constructivism
をベースに発展したconnectivismの世界だなぁ、と思ったり。(参考記事)・・・と教育学のマニアックな話はおいておいて、
自分の勉強のためにもフリードマンの記事を以下要約してみました。最近話題の(日本でどのくらい話題になっているか分かりませんが)トルコ、ブラジル、エジプトなどで続いているデモについて。
フリードマンの記事:最近の世界各地のデモ
・Paul Pillarによる問い「暴動デモが起きてる国の政府のほとんどは『freely and democratically(民主的に)』選ばれたはずなのになぜここまで頻繁に暴動デモが起きているのだろうか?」に対するフリードマンの考えが紹介されている本記事。
・フリードマンはこの現象の背景には3つの要素が関わり合っていると説いています。
①「rise and proliferation of illiberal "majoritarian" democracies」
>意訳:rise and proliferation = 台頭
>英語訳:illiberal = 半自由主義的な、リベラルでない
>意訳:"majoritarian" = 国民の大半の支持を一旦は得た
>意訳:democracies = 民主主義の政権
※具体例として取り上げられているロシアやトルコや今日のエジプトの事例。
国民の過半数の支持を得て政権を勝ち取った(ロシアは若干状況が
違うけれど)党が、実際に与党になってみたら
「ignoring the opposition」
「choking the news media」
「behaving in imperious or corrupt ways」といったことばかり。
つまり「民主主義」なのは選挙過程のみで、実際は少数派の意見や権利が
ないがしろにされている、という話。フリードマンは記事でそれらの国の
国民側の気持ちを「我々の意見を述べる場所や政治に参加する権利を
盗まれた!」と代弁。
②「the way middle-class workers are being squeezed between a
shrinking welfare state and a much more demanding job market」
>英語訳:welfare state = 社会保障制度
※これは日本でも同じことが起きているのでそこまで補足説明が必要で
ないかもしれないけれども「一生懸命働き、既存のルールに従っていれば
中流社会にとどまることができますよ」の時代ではなくなった、と
いう話。今の時代同じところにとどまりたければ「you have to
work harder, work smarter, bring more innovation to whatever job
you do, retool yourself more often」と。
結果として国民の大多数を占める中流層のストレス増、不安増
(「自分の親の世代以上に豊かな生活は一体できるのだろうか」という疑問)
につながっているという今の世の中。(人ごとでないのでドキドキしますね)
※しかもこのような社会全体の変化に対してリーダーシップを発揮できている
現政権リーダーはほとんどいない。本来なら野党が強く与党に対して
主張すべきところがしっかりした野党が多くの場合不在である。これも
デモを増やすことにつながっている、と。実際トルコ、ブラジル、ロシア、
エジプトにはしっかりした野党が存在しない。(あれ?日本と同じじゃ??)
※米国であったTea Partyの動きやOccupy Wall Street、ブラジルの
バス賃上昇のきっかけで起きた暴動や中国の工場でアメリカ人の
ビジネスマンが拘束された事件・・・具体的な事例はいろいろと。
③「aggrieved individuals now have more power to engage in, and
require their leaders to engage in, two-way conversations - and
they have much greater ability to link up with others who share
their views to hold flash protest」
>英語訳:aggrieved = 憤慨した
※アラブの春以降よく言われていることだけれどもスマホ、タブレットPC
ツイッター、Faceboo、ブログ・・・個人は色々なツールを保有する
ようになったことも、組織化されたデモ活動の増加につながっていますね、と。
・最後にフリードマンはこうまとめています:「Autocracy is less sustainable than ever」「Democracies are more prevalent than ever but they will also be more volatile than ever」
追加で調べてみました
・フリードマンの記事のコメント欄をちょっと覗いてみました。
>投票という仕組みがもう機能しなくなっている、抗議デモが唯一の残された道だ(ブラジルがそれを証明している)
>民主主義をずっと貫いて来た米国でも抗議デモが(民主主義に対して)起こりうるのだろうか
>米国では海外のことに目を向けていない人以外はまだまだ民主主義に対する絶対的な信頼があるのではないだろうか、当分米国ではこういうことは起きない気がする
>"Does anyone really care enough anymore to rise up andmake a difference? I doubt it" (NY在住の人)・・・・などなど米国の人中心の意見が多い気がします、あと富裕層や権力者達を嫌う人達。
・東洋経済ONLINEの記事「トルコ反政府デモは階級間戦争である」も読んでみました。上記フリードマンの②の点に近い話から記事は始まり、ここまで大規模になったトルコも出発点は「ショッピングモール建設」の話だった。「トルコの春には、強い左翼傾向がある」と。・・・・この記事はトルコに特化した話。
・The Economistの記事「世界中に広がる市民デモ」のJB Press訳も読んでみました。上記記事達になかったインドネシアの話やインドの話、ブルガリアの話、スウェーデン、英国の話もカバーされている。1848年、1968年、1989年と過去との比較も言及されてる。上記フリードマンの③の点に近い話にも言及されていていくつか印象的なフレーズも。
「主義主張をファッショナブルなもの」
「デモを組織した中核の集団が圧倒され、指導力を失う傾向」
「自然発生的な性質は、「何かできる」という陶酔感」
最後はThe Economistらしい?論調の中国・ロシア・サウジアラビア各国に向けたメッセージらしきもので記事は締めくくられていました。
・追加:香港でも10万人以上が参加したデモがあったようですね(関連記事)
「デモ」「暴動」と聞いても、日本の平和ボケ精神が身に染み付いている自分にはなんだかまだ遠い世界のことのように感じてしまいます。↑に書いたフリードマンの記事に対する米国人のような気持ち。
ただ、ここまで世界中で起きている現象となると、(日本国内で起きることが近いうちになかったとしても)もうちょっとアンテナはっておきたいな、と思ったりもします。(特にフリードマンの言っていた②はもろ自分達世代の話ですし・・・あとは為替変動を通じて自分の生活費+貯金内容に直接的な影響があるかもしれませんし・・・)
めまぐるしい世の中です。
しかもこれらの市民デモに対する政府の対応の在り方が(例えばブラジルとトルコ)世界中から比較されてしまう時代でもあるのだなと今回の件で感じたりもしています。
最近「コミュニティ」というものを考えることが多いのですが、どんなコミュニティでも発信する人の存在って重要だな、と思います。特に企業のような「学習する組織」であることが従来よりも一層求められているコミュニティであればなおさら。
それにちょっと関連する話。今日は今働いているNPOというコミュニティ内で共有された話とそこを出発点に自分が考えたことを書いてみようと思います。
今いるNPOは70名弱ほどの組織ですが、NYオフィスには20−30名の人が働いています(今はサマーインターンが10人ほどいます)。毎週月曜はNYオフィスの社員全員が参加する
定例ミーティング。そのミーティングでは毎回最後に自由な「Aha!」共有の時間が設けられています。
その場にいる誰でも良いのでその前の週または週末の間に見たり聞いたりして「Aha!」と感じたこと、自社・自分達に引き寄せて考えたことを仲間の皆に共有します。
今日は一人の社員の方が以下のフリードマンの記事(NYTより)を紹介してくれました。 Takin' It to the Street by Thomas Friedman (June 29th, 2013) New York Times
もちろんこの記事を読んでいなかった私にとって記事の存在を教えてもらっただけでも「Aha!」でしたが、内容をじっくり読んで得た学びも「Aha!」となりました。
今日は仕事中「学び」の三大pedagogy(考え方、手法)であるbehavorism cognitive/social constructivism/connectivismのことを調べていたのですが、これこそsocial constructivism
をベースに発展したconnectivismの世界だなぁ、と思ったり。(参考記事)・・・と教育学のマニアックな話はおいておいて、
自分の勉強のためにもフリードマンの記事を以下要約してみました。最近話題の(日本でどのくらい話題になっているか分かりませんが)トルコ、ブラジル、エジプトなどで続いているデモについて。
フリードマンの記事:最近の世界各地のデモ
・Paul Pillarによる問い「暴動デモが起きてる国の政府のほとんどは『freely and democratically(民主的に)』選ばれたはずなのになぜここまで頻繁に暴動デモが起きているのだろうか?」に対するフリードマンの考えが紹介されている本記事。
・フリードマンはこの現象の背景には3つの要素が関わり合っていると説いています。
①「rise and proliferation of illiberal "majoritarian" democracies」
>意訳:rise and proliferation = 台頭
>英語訳:illiberal = 半自由主義的な、リベラルでない
>意訳:"majoritarian" = 国民の大半の支持を一旦は得た
>意訳:democracies = 民主主義の政権
※具体例として取り上げられているロシアやトルコや今日のエジプトの事例。
国民の過半数の支持を得て政権を勝ち取った(ロシアは若干状況が
違うけれど)党が、実際に与党になってみたら
「ignoring the opposition」
「choking the news media」
「behaving in imperious or corrupt ways」といったことばかり。
つまり「民主主義」なのは選挙過程のみで、実際は少数派の意見や権利が
ないがしろにされている、という話。フリードマンは記事でそれらの国の
国民側の気持ちを「我々の意見を述べる場所や政治に参加する権利を
盗まれた!」と代弁。
②「the way middle-class workers are being squeezed between a
shrinking welfare state and a much more demanding job market」
>英語訳:welfare state = 社会保障制度
※これは日本でも同じことが起きているのでそこまで補足説明が必要で
ないかもしれないけれども「一生懸命働き、既存のルールに従っていれば
中流社会にとどまることができますよ」の時代ではなくなった、と
いう話。今の時代同じところにとどまりたければ「you have to
work harder, work smarter, bring more innovation to whatever job
you do, retool yourself more often」と。
結果として国民の大多数を占める中流層のストレス増、不安増
(「自分の親の世代以上に豊かな生活は一体できるのだろうか」という疑問)
につながっているという今の世の中。(人ごとでないのでドキドキしますね)
※しかもこのような社会全体の変化に対してリーダーシップを発揮できている
現政権リーダーはほとんどいない。本来なら野党が強く与党に対して
主張すべきところがしっかりした野党が多くの場合不在である。これも
デモを増やすことにつながっている、と。実際トルコ、ブラジル、ロシア、
エジプトにはしっかりした野党が存在しない。(あれ?日本と同じじゃ??)
※米国であったTea Partyの動きやOccupy Wall Street、ブラジルの
バス賃上昇のきっかけで起きた暴動や中国の工場でアメリカ人の
ビジネスマンが拘束された事件・・・具体的な事例はいろいろと。
③「aggrieved individuals now have more power to engage in, and
require their leaders to engage in, two-way conversations - and
they have much greater ability to link up with others who share
their views to hold flash protest」
>英語訳:aggrieved = 憤慨した
※アラブの春以降よく言われていることだけれどもスマホ、タブレットPC
ツイッター、Faceboo、ブログ・・・個人は色々なツールを保有する
ようになったことも、組織化されたデモ活動の増加につながっていますね、と。
・最後にフリードマンはこうまとめています:「Autocracy is less sustainable than ever」「Democracies are more prevalent than ever but they will also be more volatile than ever」
追加で調べてみました
・フリードマンの記事のコメント欄をちょっと覗いてみました。
>投票という仕組みがもう機能しなくなっている、抗議デモが唯一の残された道だ(ブラジルがそれを証明している)
>民主主義をずっと貫いて来た米国でも抗議デモが(民主主義に対して)起こりうるのだろうか
>米国では海外のことに目を向けていない人以外はまだまだ民主主義に対する絶対的な信頼があるのではないだろうか、当分米国ではこういうことは起きない気がする
>"Does anyone really care enough anymore to rise up andmake a difference? I doubt it" (NY在住の人)・・・・などなど米国の人中心の意見が多い気がします、あと富裕層や権力者達を嫌う人達。
・東洋経済ONLINEの記事「トルコ反政府デモは階級間戦争である」も読んでみました。上記フリードマンの②の点に近い話から記事は始まり、ここまで大規模になったトルコも出発点は「ショッピングモール建設」の話だった。「トルコの春には、強い左翼傾向がある」と。・・・・この記事はトルコに特化した話。
・The Economistの記事「世界中に広がる市民デモ」のJB Press訳も読んでみました。上記記事達になかったインドネシアの話やインドの話、ブルガリアの話、スウェーデン、英国の話もカバーされている。1848年、1968年、1989年と過去との比較も言及されてる。上記フリードマンの③の点に近い話にも言及されていていくつか印象的なフレーズも。
「主義主張をファッショナブルなもの」
「デモを組織した中核の集団が圧倒され、指導力を失う傾向」
「自然発生的な性質は、「何かできる」という陶酔感」
最後はThe Economistらしい?論調の中国・ロシア・サウジアラビア各国に向けたメッセージらしきもので記事は締めくくられていました。
guy fox.. |
・追加:香港でも10万人以上が参加したデモがあったようですね(関連記事)
「デモ」「暴動」と聞いても、日本の平和ボケ精神が身に染み付いている自分にはなんだかまだ遠い世界のことのように感じてしまいます。↑に書いたフリードマンの記事に対する米国人のような気持ち。
ただ、ここまで世界中で起きている現象となると、(日本国内で起きることが近いうちになかったとしても)もうちょっとアンテナはっておきたいな、と思ったりもします。(特にフリードマンの言っていた②はもろ自分達世代の話ですし・・・あとは為替変動を通じて自分の生活費+貯金内容に直接的な影響があるかもしれませんし・・・)
めまぐるしい世の中です。
しかもこれらの市民デモに対する政府の対応の在り方が(例えばブラジルとトルコ)世界中から比較されてしまう時代でもあるのだなと今回の件で感じたりもしています。