人は一度の人生で「恩師」という人には何人出会うことができるのだろう。
自分が中高時代に通った私立の女子校は、受験校ではなかったため、私達学生の多くはエネルギーの大部分を毎年開催される体育祭や文化祭、Music Festivalという合唱イベント、修学旅行などに目一杯注ぎ込むような場所だった。何故か女子校なのに?山登りが頻繁にあったり、受験期まっただ中に餅つき大会があったり・・・そういえば高三の冬に校庭で花いちもんめしたな、とかそんな記憶ばかり。
ということで学業関連の記憶が今となってはあまりないのだけれども、自分にとってのその例外が岡本先生と井上先生のお二方。二人の授業はそれはそれは「面白かった」。タイプの違う二人だったけれど共通点として、生徒に「考えることの訓練」を課し、「新しいことを発見する喜び」を体験させてくれ、かつ「知らない世界はもっともっとある」ということを見せてくれたことが挙げられる。岡本先生は数学の先生なのになぜか古典や哲学の話をしながら数学の理論を教えてくれた先生だったし、井上先生は化学の先生なのになぜか文学、アート、食べ物の話をしてくれた先生だった。
その大学留学の推薦書のみならず、そもそも大学留学のきっかけをくれたのもこの井上先生だったりする。私が進路に悩んでいた18歳の当時、ボストンに滞在し教鞭を取られたことのあった先生(+プライベートでもしょっちゅうニューヨークに行かれていた)が私にアメリカの大学で学ぶことの可能性や楽しさをフッと吹き込んでくれたのがこの先生だった。
体育祭(高校三年生の5月)まで全力で(体育祭関係の企画プロジェクトに向けて)走っていた自分が6月に志望校(国内)を絞れず悶々としていたときに、その先生が吹き込んでくれていたアイディアがむくむくと自分の頭の中で膨らんでいった。先生はおそらくそんな深い気持ちで私にアイディアを吹き込んだわけじゃないと思うけれど、人はいつ他人に言われたことを反芻し、ドライブに換えるかなんて分からないものだ。
気付けば願書締切まで実は半年もない!2011年の大学院留学の時とまったく同じなんだけれど「思い立った」▷「それに必要なことを考えてみた」▷「逆算してみた」▷「時間ギリギリだった」▷「パワー!」という流れで高校三年の夏と秋はTOEFL、SAT、エッセイ、推薦書で走り抜けた。
その間、私と井上先生との接点は「留学しようかと思います」「先生から刺激を受けたので理系の中で自分が興味を持った『食品科学』にします」「推薦書お願いします」くらいだったと思う。
先生は毎年「今年読んでよかった和書/洋書ランキング」「映画ランキング」「舞台ランキング」を年賀状に記載してくれるのだけれども、そのようなやりとり+たまーにお会いするくらい。教職を去られてからの先生はその才能とネットワークを元に「食」に関する様々なコーディネーション、ビジネスのお手伝いに加え、私のような歴代の先生の教え子の方々(+そのお子様)に対し、”食や芸術を通じた心豊かな人生の送り方”を身を以て教えているような生活をされていた。健康への意識も非常に高いため、本当にお忙しい方であるにも関わらず定期的なジム通いも忘れない、
私が大学で「freshman 15 lbs」どころか20 lbs(9キロ)ほど増量して一時帰国したときは「大丈夫か、松川」と言っていただき、私が証券会社荒れ果てた食生活+睡眠生活を送っていたときも気遣っていただき、身体に良いとても良質の食材を使っているお店にも連れていっていただいた。日本で「コンサート」という素敵な映画を紹介してくれたのも先生だし、高田郁による「みをつくし料理帖」シリーズを紹介してくれたのも先生だった。たまに「これ読め」と文庫本をどっさりくださったり、一時期ビジネス本しか触れていなかった私には必要不可欠のインプットをくれたのが先生だった。
この林檎ジュースのお披露目パーティーにもお呼ばれして行ったのに、その後震災が起きて、まさにそこで知った「陸前高田」の名をテレビで被災地として聞く機会が急激に増え、パーティーで嬉しそうにお話されていた方々やその近い方々が被害に合ってしまったという衝撃な展開に・・。もう林檎も無理か・・と思われていたその1年後、先生のご尽力や現地の方々の頑張りがあり、この林檎ジュースがめでたく復活。そのときの先生の嬉しそうな様子や送られてたメールの文は今でも忘れられない。その当時の気持ちを書いた私の2012年の2月のFacebookの投稿。これ、すぐに売り切れてしまうので今年は(留学もしていたし)飲めていないのですが、また飲みたい・・・。
そして、先生の活動の加速は続く。2012年頃から先生はFacebookでご自身のレシピを公開してくれるようになる。もともと先生はface to faceで教え子達に料理教室などを実施してくださっていたのだけれども、これをオンラインにも共有してくれたことで、世界中にちらばっている教え子達が先生のレシピ(や、オススメ書籍やオススメ映画/舞台の情報)へいつでもどこでもアクセスすることが可能に。
でも、Facebookは情報が流れてしまう・・・・。ということで(自分が先生の投稿してくださる情報にもっと気軽にアクセスしたいという理由ですが)私も使っているこのBloggerテンプレート使用をご提案。Facebookの時と同じで先生「じゃ、やってみようか」というフットワークの軽さ。
この夏の一時帰国中に先生に使用方法とdropboxとの連携などをお伝えしたのですが、ニューヨークに戻ってからみてみると・・・・
働く女性応援のための家庭料理と情報 meal - recipe - ingredients - restaurants - other
頻繁に更新されているされているではないですか!!いや、すごいです。本当に。75歳でtwitter, facebook, bloggerをmini ipad持ちながら使いこなされている人ってそんなにいないんじゃないでしょうか。先生の向上心、好奇心、オープンさ、教え子想いの姿勢には本当心底圧倒されます。
昨夜もマンハッタンにいらっしゃっていた先生と、私の同級生で今アメリカで医師号を取ろうとしてレジデンシーに入っている女医さんと、もう一人大先輩に当たる別の卒業生の方とご飯を食べましたが、我々二人の貧相な食生活を心配されてか、どっさりとお土産を持って来てくださり・・・。先生が美味しいとオススメのお店でごちそうになりました。いや、これは新しい新居に行ったら絶対絶対毎日先生のレシピでご飯つくらないと、と決心を改めて。
また新しい大きなプロジェクトを東京を中心に前に進められるようで、そのお話をされていた先生はとてもキラキラされていて、なんだか一ヶ月前東京でお会いした時以上にパワーがみなぎっていると感じました。(日本からの長時間フライト到着翌日だったのにも関わらず)この、45年ほど年上の人生の先輩から学ぶことは本当に多いです。
中学生時代から今まで常に私に「教え」をくださっている井上先生。人生を歩んで行く中でたくさんの人の心の琴線に触れ、先生と関わった人達一人一人の人生を豊かにすることをサポートされる・・・。先生を見て、先生のような生き方って素晴らしい、私もいつかできるのかな、そういうことを考えさせられます。先生に出会えたというご縁に本当に心から感謝しています。これからも引き続き宜しくお願いします。
岡本先生と井上先生
小学校の先生であった祖母には数十年の間、毎年欠かさず手紙を送ってくれる教え子がいた。その子と祖母がどのような関わり方をしたかは今となっては知る事ができないけれども、自分にとってそのような存在の「恩師」は誰だろう・・・おそらくそれは、中高時代にお世話になった岡本先生(数学担当)と井上先生(化学担当)なんだと思う。自分が中高時代に通った私立の女子校は、受験校ではなかったため、私達学生の多くはエネルギーの大部分を毎年開催される体育祭や文化祭、Music Festivalという合唱イベント、修学旅行などに目一杯注ぎ込むような場所だった。何故か女子校なのに?山登りが頻繁にあったり、受験期まっただ中に餅つき大会があったり・・・そういえば高三の冬に校庭で花いちもんめしたな、とかそんな記憶ばかり。
ということで学業関連の記憶が今となってはあまりないのだけれども、自分にとってのその例外が岡本先生と井上先生のお二方。二人の授業はそれはそれは「面白かった」。タイプの違う二人だったけれど共通点として、生徒に「考えることの訓練」を課し、「新しいことを発見する喜び」を体験させてくれ、かつ「知らない世界はもっともっとある」ということを見せてくれたことが挙げられる。岡本先生は数学の先生なのになぜか古典や哲学の話をしながら数学の理論を教えてくれた先生だったし、井上先生は化学の先生なのになぜか文学、アート、食べ物の話をしてくれた先生だった。
井上先生と私の留学(一回目)経験
その岡本先生には12年前の卒業以来直接お会いしてはいないのだけれども、井上先生とはその後もずっと交流が続いている。お二人は私の無謀とまでいえる大学留学受験の際の推薦書を書いてくださった3人の先生の二人でもある。(もう一人は故和田先生)大学留学してなかったら、投資銀行への就職もなかっただろうし、その後転職することもなかっただろうし、そうだとしたら人の学びに関わることにもなっていなかった、教育学大学院への留学もなかった。今関わっているアキュメンも、今周りにいる素晴らしい友人の多くにも出会えてなかった・・・と考えるといかにその第一歩となった大学留学がその後の自分の人生に大きな影響を与えたかが痛感される(もちろん経済的にそれを可能にしてくれるように家計に大きな負担をしょってくれた親には言葉に表せないくらいの感謝をしている)。その大学留学の推薦書のみならず、そもそも大学留学のきっかけをくれたのもこの井上先生だったりする。私が進路に悩んでいた18歳の当時、ボストンに滞在し教鞭を取られたことのあった先生(+プライベートでもしょっちゅうニューヨークに行かれていた)が私にアメリカの大学で学ぶことの可能性や楽しさをフッと吹き込んでくれたのがこの先生だった。
体育祭(高校三年生の5月)まで全力で(体育祭関係の企画プロジェクトに向けて)走っていた自分が6月に志望校(国内)を絞れず悶々としていたときに、その先生が吹き込んでくれていたアイディアがむくむくと自分の頭の中で膨らんでいった。先生はおそらくそんな深い気持ちで私にアイディアを吹き込んだわけじゃないと思うけれど、人はいつ他人に言われたことを反芻し、ドライブに換えるかなんて分からないものだ。
気付けば願書締切まで実は半年もない!2011年の大学院留学の時とまったく同じなんだけれど「思い立った」▷「それに必要なことを考えてみた」▷「逆算してみた」▷「時間ギリギリだった」▷「パワー!」という流れで高校三年の夏と秋はTOEFL、SAT、エッセイ、推薦書で走り抜けた。
その間、私と井上先生との接点は「留学しようかと思います」「先生から刺激を受けたので理系の中で自分が興味を持った『食品科学』にします」「推薦書お願いします」くらいだったと思う。
高校卒業後〜2010年頃まで
時は流れ2001年。なんとか無事に渡米が決まり、先生ともしばしお別れ。留学中は年に一回くらいしか自分が日本に帰国しなかったのと、今ほどコミュニケーション手段も豊かではなかったのと、自分も自分のことで目一杯だったのでしばし先生との関係も小休止。先生は毎年「今年読んでよかった和書/洋書ランキング」「映画ランキング」「舞台ランキング」を年賀状に記載してくれるのだけれども、そのようなやりとり+たまーにお会いするくらい。教職を去られてからの先生はその才能とネットワークを元に「食」に関する様々なコーディネーション、ビジネスのお手伝いに加え、私のような歴代の先生の教え子の方々(+そのお子様)に対し、”食や芸術を通じた心豊かな人生の送り方”を身を以て教えているような生活をされていた。健康への意識も非常に高いため、本当にお忙しい方であるにも関わらず定期的なジム通いも忘れない、
私が大学で「freshman 15 lbs」どころか20 lbs(9キロ)ほど増量して一時帰国したときは「大丈夫か、松川」と言っていただき、私が証券会社荒れ果てた食生活+睡眠生活を送っていたときも気遣っていただき、身体に良いとても良質の食材を使っているお店にも連れていっていただいた。日本で「コンサート」という素敵な映画を紹介してくれたのも先生だし、高田郁による「みをつくし料理帖」シリーズを紹介してくれたのも先生だった。たまに「これ読め」と文庫本をどっさりくださったり、一時期ビジネス本しか触れていなかった私には必要不可欠のインプットをくれたのが先生だった。
2010年頃以降〜現在
その先生との関わりが最近以前にも増して濃くなっている。きっかけは良く分からない/覚えていない。メールの過去を遡っているとどうやら2010年くらいから多くなっている気がする。自分がちょうど転職をしたときくらいから。それからの3年間も先生は相変わらずのものすごい活動量で、特に自分にとって印象的だったのは先生と片岡シェフが一緒にプロデュースされた陸前高田の「林檎ジュース」。(先生はこの商品に関わらず地方に埋もれがちになっている超良質食材を製品化して高付加価値をつけて、そういうものにお金を出すことに興味がある消費者に届けることをされている。)この林檎ジュースのお披露目パーティーにもお呼ばれして行ったのに、その後震災が起きて、まさにそこで知った「陸前高田」の名をテレビで被災地として聞く機会が急激に増え、パーティーで嬉しそうにお話されていた方々やその近い方々が被害に合ってしまったという衝撃な展開に・・。もう林檎も無理か・・と思われていたその1年後、先生のご尽力や現地の方々の頑張りがあり、この林檎ジュースがめでたく復活。そのときの先生の嬉しそうな様子や送られてたメールの文は今でも忘れられない。その当時の気持ちを書いた私の2012年の2月のFacebookの投稿。これ、すぐに売り切れてしまうので今年は(留学もしていたし)飲めていないのですが、また飲みたい・・・。
先生と片岡シェフプロデュースの 林檎ジュース |
先生の発信力とブログ
・・・その先生の発信力が凄い。一番最初はTwitterだったと思う。上記林檎ジュースの展開が始まったころ。震災もあったから先生は使うようになったのだろう。で、いつかのタイミングで「先生Facebookもやりましょうよ」と誘ってみたところ、先生Facebookを開始。気付くと着々と教え子の方々(私からすると先輩方)と先生はつながり始め、今では先生のアカウントのWall上がコミュニティ化している状況。先生の教え子の方々は日本でも全国に散らばっていたり、また海外に拠点を構えている人が比較的多め。Facebookはそういうメンバーをつなげてくれるのに本当に適している。そして、先生の活動の加速は続く。2012年頃から先生はFacebookでご自身のレシピを公開してくれるようになる。もともと先生はface to faceで教え子達に料理教室などを実施してくださっていたのだけれども、これをオンラインにも共有してくれたことで、世界中にちらばっている教え子達が先生のレシピ(や、オススメ書籍やオススメ映画/舞台の情報)へいつでもどこでもアクセスすることが可能に。
でも、Facebookは情報が流れてしまう・・・・。ということで(自分が先生の投稿してくださる情報にもっと気軽にアクセスしたいという理由ですが)私も使っているこのBloggerテンプレート使用をご提案。Facebookの時と同じで先生「じゃ、やってみようか」というフットワークの軽さ。
この夏の一時帰国中に先生に使用方法とdropboxとの連携などをお伝えしたのですが、ニューヨークに戻ってからみてみると・・・・
働く女性応援のための家庭料理と情報 meal - recipe - ingredients - restaurants - other
頻繁に更新されているされているではないですか!!いや、すごいです。本当に。75歳でtwitter, facebook, bloggerをmini ipad持ちながら使いこなされている人ってそんなにいないんじゃないでしょうか。先生の向上心、好奇心、オープンさ、教え子想いの姿勢には本当心底圧倒されます。
昨夜もマンハッタンにいらっしゃっていた先生と、私の同級生で今アメリカで医師号を取ろうとしてレジデンシーに入っている女医さんと、もう一人大先輩に当たる別の卒業生の方とご飯を食べましたが、我々二人の貧相な食生活を心配されてか、どっさりとお土産を持って来てくださり・・・。先生が美味しいとオススメのお店でごちそうになりました。いや、これは新しい新居に行ったら絶対絶対毎日先生のレシピでご飯つくらないと、と決心を改めて。
先生からの日本からのお土産、 嬉しすぎる。 |
また新しい大きなプロジェクトを東京を中心に前に進められるようで、そのお話をされていた先生はとてもキラキラされていて、なんだか一ヶ月前東京でお会いした時以上にパワーがみなぎっていると感じました。(日本からの長時間フライト到着翌日だったのにも関わらず)この、45年ほど年上の人生の先輩から学ぶことは本当に多いです。
中学生時代から今まで常に私に「教え」をくださっている井上先生。人生を歩んで行く中でたくさんの人の心の琴線に触れ、先生と関わった人達一人一人の人生を豊かにすることをサポートされる・・・。先生を見て、先生のような生き方って素晴らしい、私もいつかできるのかな、そういうことを考えさせられます。先生に出会えたというご縁に本当に心から感謝しています。これからも引き続き宜しくお願いします。