私の上司は定期的にブログを書く。その彼がこの間「3回以上同じことを人に話すことがあれば、それをブログに書くことにしている」と言ってたので、今回は「酸素マスク理論」について書いてみようと思う。何度も色々な友人に伝えている話なので。
要素①
自分自身の酸素マスクを装着することが第一。
その上で他人のサポートについて考えるべきである。
これは飛行機の機内での「小さなお子様とご一緒の方は、自分の酸素マスクを装着してからお子様の酸素マスクをつけてあげてください」というアナウンスでおなじみの。つまり、他人のために何かをしたい、誰かのためにその人のそばにいてあげたい、と思ったときは、まずは自分自身の状態・状況確認。他人のために~を考えたり行動する前に、自分自身のことをしっかりする、自分自身の体調や精神状態が万全かどうかを考えること、というはなし。
要素②
酸素供給源は複数保有しておくこと。
酸素マスクをつけたところで、酸素マスクがつながっているタンクが酸素不足だったら意味がないので、私たちはタンク内の酸素量も意識しておく必要がある。そして、そのタンクには複数の酸素供給源がつながっていることが大事。特にどういう要素が自分にとっての「酸素の源」となっているかということを理解しておくことも大切。
「酸素の源」にはたとえばパートナーの存在やその人たちとの時間があったり、仕事でのワクワクする瞬間だったり、友人との時間や、心揺さぶられるアートとの出会いだったり、自分ひとりの時間であったり、色々。例えばMはバレエが好きで、彼女は踊るということが酸素補給のひとつになっているし、私もたまに無心に部屋の片付けをしたり、ブログを書いたりするとすっきりいい気持ちになることがある。
なぜ複数の供給源を持つことが大事かというと、一つの酸素供給源に依存しすぎていると、そこからの酸素がなんらかの理由で滞ったときに(例えばパートナー達がそれぞれのストレスで私たちへの「酸素」をくれるゆとりがなかったり、例えば自分が風邪をひいてしまって、いつもの気分転換になっている運動ができなかったり)一気に自分が酸素不足になるリスクが高まってしまうから。特に酸素供給源を少数の人に依存しすぎていると、その相手が様々な理由で酸素不足になっているときに、酸素が足りていない人から酸素を奪い、結果両方ともが苦しい、という状況になりかねない。
「酸素マスク理論」とはそんな内容。
Mと私の間では「今日、酸素レベルどんな感じ?」という会話が普通に出てくるくらい。
仕事での私・プライベートでの私、と切り分けるのではなく、一人の人間として今どういうことに影響を受けていて、どういう気分・エネルギー状況にあるか、ということをオープンに話し合うことのできる仲間は人生において本当に大切で、そんな仲間との関係維持・深化に便利な理論だと思っている。
また、敢えてこの理論を他人に共有しなくとも、自分の頭の片隅にいれておくだけで、日々自分が他者との関わり方にも少なからずの影響が出てくることも。たとえば、日々関わっている人たちにも、自分には見えていない彼らの様々な事情があるのだな、とか、彼らの酸素状態や酸素供給源の状況をどうなのだろう、と想像してみようという気持ちにもなってきたり。
ま、つまりはこの理論のポイントは自己理解と自己管理の重要性という話なのだけれども、それに加え「人は様々なことの影響を受けるし、一人で頑張ってできることはたかが知れているので、他人からの助けが必要なときはそれを伝えられるといいね」ということと、「そういうこと(自分が弱っているということ、助けが必要であるということ)を伝えることができる仲間は大事なので、そういう人たちとの信頼関係を構築することを日ごろから意識しておきましょう」ということかな、と。
「酸素マスク理論」とは
私の親友であり同僚のMがメンターから教えてもらった話をもとに、私とMで創り出した理論で、以下の二つの要素によって成り立っている。要素①
自分自身の酸素マスクを装着することが第一。
その上で他人のサポートについて考えるべきである。
これは飛行機の機内での「小さなお子様とご一緒の方は、自分の酸素マスクを装着してからお子様の酸素マスクをつけてあげてください」というアナウンスでおなじみの。つまり、他人のために何かをしたい、誰かのためにその人のそばにいてあげたい、と思ったときは、まずは自分自身の状態・状況確認。他人のために~を考えたり行動する前に、自分自身のことをしっかりする、自分自身の体調や精神状態が万全かどうかを考えること、というはなし。
要素②
酸素供給源は複数保有しておくこと。
酸素マスクをつけたところで、酸素マスクがつながっているタンクが酸素不足だったら意味がないので、私たちはタンク内の酸素量も意識しておく必要がある。そして、そのタンクには複数の酸素供給源がつながっていることが大事。特にどういう要素が自分にとっての「酸素の源」となっているかということを理解しておくことも大切。
「酸素の源」にはたとえばパートナーの存在やその人たちとの時間があったり、仕事でのワクワクする瞬間だったり、友人との時間や、心揺さぶられるアートとの出会いだったり、自分ひとりの時間であったり、色々。例えばMはバレエが好きで、彼女は踊るということが酸素補給のひとつになっているし、私もたまに無心に部屋の片付けをしたり、ブログを書いたりするとすっきりいい気持ちになることがある。
なぜ複数の供給源を持つことが大事かというと、一つの酸素供給源に依存しすぎていると、そこからの酸素がなんらかの理由で滞ったときに(例えばパートナー達がそれぞれのストレスで私たちへの「酸素」をくれるゆとりがなかったり、例えば自分が風邪をひいてしまって、いつもの気分転換になっている運動ができなかったり)一気に自分が酸素不足になるリスクが高まってしまうから。特に酸素供給源を少数の人に依存しすぎていると、その相手が様々な理由で酸素不足になっているときに、酸素が足りていない人から酸素を奪い、結果両方ともが苦しい、という状況になりかねない。
「酸素マスク理論」とはそんな内容。
Mと私の間では「今日、酸素レベルどんな感じ?」という会話が普通に出てくるくらい。
仕事での私・プライベートでの私、と切り分けるのではなく、一人の人間として今どういうことに影響を受けていて、どういう気分・エネルギー状況にあるか、ということをオープンに話し合うことのできる仲間は人生において本当に大切で、そんな仲間との関係維持・深化に便利な理論だと思っている。
また、敢えてこの理論を他人に共有しなくとも、自分の頭の片隅にいれておくだけで、日々自分が他者との関わり方にも少なからずの影響が出てくることも。たとえば、日々関わっている人たちにも、自分には見えていない彼らの様々な事情があるのだな、とか、彼らの酸素状態や酸素供給源の状況をどうなのだろう、と想像してみようという気持ちにもなってきたり。
ま、つまりはこの理論のポイントは自己理解と自己管理の重要性という話なのだけれども、それに加え「人は様々なことの影響を受けるし、一人で頑張ってできることはたかが知れているので、他人からの助けが必要なときはそれを伝えられるといいね」ということと、「そういうこと(自分が弱っているということ、助けが必要であるということ)を伝えることができる仲間は大事なので、そういう人たちとの信頼関係を構築することを日ごろから意識しておきましょう」ということかな、と。
Chihulyの展示@NYBotanicGarden 2017 綺麗だった |