30歳 - 過去10年の振り返り

大学院留学中1ヶ月目ちょっとにして迎えた30歳の誕生日。節目だし、しっかり振り返りをしたいなーと思いながら勉強やその他色々なこともあり、1日遅れてしまった「振り返り」エントリ-。

20歳から昨日までの10年はとても高密度だったなと思いつつも、色々な人生の先輩の話を聞いていると、ここからの10年こそが更に充実していく気がしているので、なんとなくワクワクとした30歳のスタートです。

既に今日ジムのマシーンで自分の年齢を入力することがあり、今までの「29」ではなく「30」という数字がちょっぴし新鮮でした。

さて、この機に過去10年を駆け足で振り返ってみようと思います。

Photo by Dino Reichmuth on Unsplash


【20歳】NYの田舎にて、大学2年生がはじまったばかり
  • 日本から遠く離れた大学町Ithaca(NY州)で友達と
  • 当時のBFにロマンチックなディナーもアレンジしてもらう
  • 理系のFood Science専攻だったのでその関連の勉強をしていた当時
  • 春学期になって、インテリアデザイン学科の親友の子の影響を受けIntroduction to Human Environment RelationやHuman Factor: Ambient Environmentといった、後の転部のきっかけとなる授業を取り始める
  • Intro to Business Managementといった高校時代全く触れたことの無かった世界にも少し足を踏み入れたのもこのころ
  • 大学2年生が始まったばかりで、1年生の時よりちょっと大人ぶり、パーティ好きの先輩達とヤンチャする日々が続く

【21歳】NYの田舎にて、大学3年生がはじまったばかり
  • 仲良し5人(女2男3)でハウスシェアを始めた年
  • 毎日にぎやかで楽しい日々
  • Food ScienceからDesign and Environmental Analysisに転部もし、それまでの化学、生物、統計といった種の授業からDesign Studio、Making difference by Designという授業達へガラリとモードが変わる
  • 21歳はNY州では合法的に飲酒できる年齢、ということで以前よりも自分達でパーティーを主催することが増えました
  • デジカメの使用が当たり前になったのもあり、この頃以降のデジタル写真の記録が大量に。どれも素敵な思い出
  • 21歳と22歳の間の夏休みは周りの友人がインターンで着々と就職活動に向けて布石を打つ中、自分は何をどこでやりたいのか、やれるのかが全く分からず、ボストンで開始したインターンは想像と全く違い1週間で辞めたり、でも3ヶ月もある夏休みの使い方をどうしたらいいか分からず、焦りと不安だけが押し寄せ、不安定な夏の始まりを経験し、結局単身赴任していた父のところに転がりこむ
  • 何かしないと不安ということでNYUのオープンクラスを不動産開発絡みで取っていた気がするけどあまり記憶なし
  • BusiumというNYと東京で事業を展開するベンチャ-でインターンをさせていただく。感謝感謝・・
  • 就職に向けては日本であまりよく分からないまま戦略コンサルファームのエントリーを開始していたような、あまり記憶なし

【22歳】NYの田舎にて、大学4年生が始まったばかり
  • 就職活動モード
  • 日英バイリンガル生を対象にしたボストンキャリアフォーラムに周りの友達が行くことのでなんとなく流れで自分も行ってみることに(10月)
  • アメリカにいるBFもいたので帰国に対しての気持ちもあまり固まらず、デザイン系への興味も残したまま、フォーラムの事前申し込みを基に決まっていた数社の面接の準備をとりあえずする
  • GSに出会う。同社投資調査部の部長さんの人柄と彼のトークに惹かれる
  • 自分に足りないビジネス世界での経験、「多面的に」企業や業界を析する、といった要素に惹かれ選考過程を進む
  • 他の業界もアメリカ就職の道も検討したかったけど、この業界が一番早くオファーを出していたので結局12月頃にオファーを受諾=BFとの国際遠距離恋愛決定・・
  • 卒業まで残りの大学生勝つを満喫、授業も自由選択科目を自分の興味&就職先関係のもので固める
  • 卒業と共に友人は世界各地にバラバラになったけどFacebookのおかげでkeep in touchが比較的容易な時代に(2004年からFacebook使用者)
  • いつのまにか国際電話用のカードも使わなくなっていた。テクノロジー進化すばらしき

【23歳〜24歳】東京にて、社会人の卵ライフスタート
  • 東京で、GS調査部アナリストの生活が始まって2ヶ月目の時が23歳の誕生日
  • (「社会人1年目というバタバタ」+「自分の論理的思考力の低さによるオロオロ」)x「頭の回転が早く、かつ厳しすぎる上司&賢い先輩達の存在」という計算式の結果、当時の記憶があまりない、笑、どのように誕生日を迎えたか記憶がない
  • とにかく調査部時代の2年間の厳しい?つらい?経験がそのあとの自分の社会人生活のベースとなったのは間違いなし(2020年追記:当時の同僚がこんな記事を書いていました。若いうちの苦労は買ってでも、させていいのか | note | @marisakura)
  • 今でも調査部の当時の人達に会うと家族みたいに感じる :) 当時愛の鞭をくださった最初の上司&先輩方には今でもずっと感謝
  • NYのIthacaで親の仕送りをベースに細々と生活していたところから東京の港区六本木で一人暮らしをするという劇的な生活環境の変化、周りの仲間達もほぼ皆同じ業界、同じ時間的制約下、同じ金銭感覚、同じストレスレベル・・ということでとにかく港区近辺で遊び回っていた
  • 今思うと疲れ過ぎてちょっとおかしくなっていたのかも、とも思う

【25歳】東京にて、営業へ異動後
  • 縁あって25歳になる3ヶ月前に調査部から株式営業部に異動する
  • 新しいポジションになって新鮮とわくわくと共に色々とそこでの作法があり、それをちょっぴし厳しいお兄さん先輩に指導される、またしっかりもののお姉さん先輩方にも色々と社会人としてのベースを改めて教えてもらう
  • 引越ししたり、新しい出会いや別れがあったり、2007年は色々とめまぐるしかった記憶がある
  • 確か誕生日は証券会社ガールズでお祝いしてもらったような・・
  • 就労時間が調査部ほどではなかったのでABC Cookingに通ったり、色彩検定の取得にスクールに行ったり、メンタルヘルス検定の勉強したり、ちょっといろいろな事に手を出すことの楽しさを覚え始めたのもこの頃で

【26歳】東京にて、リーマンショック直前
  • まだまだ若いやんちゃライフは続く
  • この年は9月誕生日のCornell仲間in日本3人の合同バースデーパーティを開催。3人それぞれの友達を呼んで・・とても楽しかったバブリーな思い出。たった4年前と思えないくらい昔に感じる、笑
  • そのあと10月に親友とオーストラリア旅行中にリーマンショック勃発、マーケットが毎日乱高下していてなんだか凄いことになっていた
  • 株の営業だったはずなのにこの年はほとんどマクロのことばかり追いかけて、個別株の話をする機会も減り、なんだか仕事にやや虚しさを感じ始める・・
  • ちょっと落ち着いた半年後に4年前の卒業時から約束していた大学時代の友達とラスベガスで同窓会
  • 仕事では周囲にリストラの嵐が来たり、残ったメンバーのとしての業務増加など、その頃から自分の仕事内容について色々考え始める。MBA留学も考え始めたけどいまいち準備に本腰が入らない

【27歳】東京にて、悶々とした模索の時期
  • 色々と将来のことに悩み始め、人生で初の一人旅を決意。目的地はフィンランドとデンマーク。まさに当時の自分が必要だった心の栄養素をたっぷり浴びる(その効果は帰国して1週間くらいしか持たなかったけど・・
  • その頃から真剣に転職(業界外へ)を考え始める
  • 仕事内容も知的刺激があり、周りの仲間もすごく優秀で、サポーティブでナイスな人ばかりで、お客さんにも恵まれていて、とても良い環境なのになぜか去りたくなっていたあの当時。今でも上手く説明できないけど残りたい気持ちと去りたい気持ちのバランスが後者にどうしても傾いてしまっていた
  • 金融以外のところを見るにはなるべく年齢が若い時のほうがいいと思ったのとマーケットという外部環境に翻弄される&縮小する市場の中でのパイの奪い合い以外の仕事に興味があったのと、、色々な気持ちが交錯
  • 今思うと見えていた外の世界があまりにも狭かった自分、でも当時はどうやったら更に情報を得られるかが分かっていなくて、あの中から見えていたものの中から転職先を選択をしようとしていた
  • なんとなく思ったのは企業の株価や適正価値を見る仕事からそれを創る側により近い仕事がしたいな、ということ。そんな考えから戦略コンサルや事業会社のマーケティング職を探し始めた
  • 同期にスティーブジョブスのスピーチを紹介されたのもこの頃。彼はそのあとGSを辞めて起業したけど、彼に紹介されたスピーチは原稿を手帳に入れて半年以上持ち歩いていた気がする「ものすごい好きなものを見つけるまで妥協するな」「他人の人生を生きるな」といったメッセージが当時の自分にはすごく突き刺さった
  • 結局日本株マーケットもある程度回復の兆しを見せ始め、チームも安定し始める。「今しかない」と思い、退職希望を上司に伝える
  • 自分で決めたことなのに、何故か最後の日の事を考える度に切なくて、寂しくなって涙腺がゆるむことが多かった最後の数週間
  • しかも次の仕事が確定してないまま辞めるという選択(P&Gのマーケの面接途中で退職希望を伝え、そのあと落ちてしまったという、笑)そんなに急いで辞めなくてもいいんじゃない?という有り難いコメントを頂いたり、GSの中での他のポジションの紹介をされるも一旦卒業することを決意(もっと早い段階で自分の思っていたことを周囲に相談していればよかったと学んだのもあの時。ここでのレッスンはそのあとグロービス時代に活かされる)
  • 就職活動中に申し込んだ「大連の語学学校での3週間中国語留学」に行ったり、大学仲良し仲間10人弱と大阪で同窓会をしたり、その前にグロービスに出会って(最初は聞いたこともなかったのだけれども説明会にいって気持ちが揺さぶられた)そこへの転職を決めたり、とにかく2010年の夏は色々なことがあった

【28歳】東京にて、グロービス転職直後

  • 実はあまりこの年の誕生日も覚えてない、笑
  • 初の日本の会社勤務、久々の「きちんと」日本語業務、日本の社会のお作法・・想いやビジョンを大切にする企業文化、心から社会を良くしたいと思う仲間達、性善説をベースに創られた組織・・・あまりにも今までと異なる要素が多すぎて2010年の秋冬は慣れるだけで精一杯だった気がする
  • グロービス同期でYear End Partyの余興を企画したり、同期仲間との絆が強まっていたのもこの頃
  • エコノミストを読む会に行ったり、転職活動中に出会ったNPOや社会貢献エリアの世界での探索を続けたり、英語MBAのIMBAで「学生」をやってみたり、Acumen FundというソーシャルVCの存在を知り興味を抱いたり、とにかく新しい世界で色々とぶつかったもの全てをとりあえず吸収しようとしていた気がする
  • 一方初の転職後の理想と現実のギャップの消化に時間をかけたり、自分が本当にやりたいことは何だろうかという問いに初めて向き合ったり、23歳の夏以来の悩みっぷりだったような気もする→2011年という体調不良YEARに続く

【29歳】東京にて、大学院に向けて準備中
  • 震災があったり、アトピー激悪化で体調を崩し気味だったり、とにかく28歳の後半はあまり良い思い出がなかった
  • そんな中自分の興味がある分野やワクワクするものが仕事とWhiteshipのEgakuアートワークショップを通じてすこーしづつ見え始めてくる(参考エントリー:EGAKUワークショップについて(更新しました)
  • そして29歳の誕生日の1ヶ月前にリスボン旅行に行く
  • その経験で色々すっきりしたのと同時にもっと教育という奥深い分野で専門性を高めたい、という気持ちが芽生える
  • 調べてみると、海外の大学院留学に必要なGREを受けるのにギリギリ間に合うかも、ということで29歳の誕生日前後はだめもとでGREの詰め込み勉強フェーズ
  • 冬に向けては大学院3校の受験&仕事&友達との交流以外はあまりしていなかった気がする
  • 吉野のUnconferenceに行ったり、クリスマスにLAに行ったり、年末年始は日本だったけどとにかく色々な人との出会いに恵まれ、たくさんの事を短い間にも教えてもらった
  • 3月に大学院の合格発表が届き、休職決定
  • 仕事も順調で楽しさも感じ始めた矢先、あと1年先でも留学は良かったかなと一瞬思いつつも残りの東京ライフを満喫する
  • 人とのつながりの素晴らしさ、尊敬する多くの同世代との出会い、大企業のことしか知らなかった自分の視野をぐーんと広げてくれた様々なコミュニティへの参加・・・グロービスという組織にいる間に自分の活動範囲や興味アンテナがすくすくと拡大・成長していた気がする。改めて感謝

【30歳】ボストンにて、大学院生として節目の誕生日を迎える
  • 正直2年前の自分は自分が30歳を学生として迎えているなんて夢にも思っていなかった
  • 更に言うと、大学院が始まった、ついこの間の自分でさえ自分がMITでインターンをしたり、ハーバードデザインスクールでアルバイトをする学生生活を送るとは思っていなかった
  • 人生どこで誰に出会い、どういうパワーに引っ張られるのか、その時にならないと本当に分からない
  • でも私はその都度得ることのできる様々な発見や冒険の瞬間が大好きだから、きっとこれからも、こんなかんじでふわふわと自分の心の声と周囲の声を頼りに流れていくんだろう・・  

こうやって振り返るとどれだけ自分がわがままで自分中心の10年だったのか、、とちょっとがっくり感じることもあるのですが、40歳になった時に振り返った10年間にはもう少し他の人へお返しができている自分のことが書けているといいな、と思いました。

グロービスや今いるHGSEでは、最近の時代の流れもあるのかもしれませんが「社会貢献」や「社会を良くする」や「未来を創る」といった意識を持った仲間に多く出会うことができました。(関連エントリー:教育学部HGSEの雰囲気、HGSE(ハーバード教育学大学院)入学式

つい数年前までそういう事を考えたことは一度も無かったのですが、自分がこうありたい、こうしたい、こういうアイディアをもっと多くの人に広げたい、実現したい、といった気持ちを大切に見つめて育てていきたいなと思っています。

私の過去10年をここまで実り多く幸せなものにしてくれた方々に本当に心から感謝しています。そして、常に暖かく私を見守ってくれ、在るべき姿を自ら実践し見せてくれている家族に改めて感謝します。

超長文お付き合いいただき、ありがとうございました。