経済格差、学力格差、情報格差・・・「察知力」

クリスマスシーズンに向けて「ホームアローン」の連続放映がされているマンハッタンです。一個前のブログを書いて久しぶりにブログ書く楽しさを思い出してしまい、仕事の続きは明日に持ち越しです。今日はタイトルに書いた3つの種類の格差について最近得たインプットがたくさんあったので、整理してみました。こういうcuration的なエントリ-はso whatが微妙になるので、FYI的なものとしてさらっと流していただいて、何か一つでも参考になれば幸いです。

今回初めてWikipediaで「格差」という単語を調べてみたのですが、自分が書こうと思って意識していた「所得格差・賃金格差」「教育格差・学力格差」「情報格差」の他に「健康格差」「医療格差」「世代間格差」「恋愛格差」「一票の格差」なんてカテゴリーもありました。

そもそもこのエントリ-を書こうと思うまで深く意識したことがなかったのですが、英語で格差に相当する「gap」「difference」「disparity」という名詞そのもには日本の「格差」に相当するような強いニュアンスが存在しません。widening gapとかunaccesptable level of disparityとか修飾された言葉に初めてイメージがつくような気すらします。また「不平等」は「inequality」、「不公平」は「unfairness」。英語で反対の言葉を考えると「not different」「equal」「fair」なんとなく伝わってくる印象がやはり「格差」だけなんか違う気もします。言葉って深いですね、ちょっと今度ゆっくり調べてみたいです。

さて、その「格差」。
今回はここ1〜2週間で見聞きした「格差」トピックをまとめます。



経済格差

①:ローマ教皇フランシスコ(2013年3月にヨーロッパ以外の地域出身者として1300年ふりに教皇になった)が初公開した重要文章の中に織り交ぜた資本主義に対するコメント。色々な人が色々解釈し大きな話題となりました。日本語ではあまり見つけられませんでしたが、いくつかgoogleで発見:
英語では全て読んでないですが、以下のような各反応(私の見ているメディアなので偏っていますが)を認識済み。

私は教皇の文章そのものを全て読んだわけでもなく、今回は対立構造のようにも見えないのですが、ファクトとしてHBRの記事から伝わって来た①格差拡大が続いた結果、今は100年前と同水準のひどさであるという話と、②「アメリカンドリーム」で象徴されていたような「social mobility」がこの国で失われて来ている、という2点が印象的でした。(過去関連エントリ-(動画あり):経済格差とアメリカと教育と

②:New York Timesにあったこの記事:Measuring Wealth Effect in Education(12月1日 New York Times)。イギリスの内容がベースになっていますが、「経済格差→学力格差」という今までよく言われて来たような話のみならず、「学力がまったく同じであったとしても、育った環境の経済格差→トップ校への入学率格差」という内容。

前者に関しては以前大学院で取った授業で色々と浅く広く学びました。(ハーバードで幼少期の子どもの発達の研究所が公開している参考文献リストはこちら)後者に関してはなんとなく感覚としてそういう現実があるのを感じてはいたものの、やはりこう現実を具体的な数値で見せられてしまうと、このままな社会はいけないと思わされます。(と思ってもすぐ自分ができることなんてほとんど無いのですがまずは事実認識からかな、と)

学力格差

①:先週発表されたPISAの結果が日本でも話題になっていました。PISA試験に関してはこちらに書いたことがありますが、一つ前のエントリ-でも書いたように「ランキング」というものは本当に注意が必要だと思います。どんな統計もそうですが、中身を見た上で自分の頭で判断しなくては。それで間違いを指摘されたら学びになります。そうでないと学びにもつながらない・・新卒の時の上司から教わりました。

PISAに対する捉え方としては大学院の同級生がEdSurgeで書いたこの記事が自分の考え方にかなり近いものです「How I Learned to Stop Worrying about the PISA (EdSurge News)」個人のFBでも書いたのですが、日本については、①PISAは日本の教育の課題であるcreative confidenceの育成であったり、多様な視点を持つ力や学ぶ力の育成が上手くいっているかを確認するには適していないということ、②「平均」の裏に隠された「社会経済的水準の高い学校と低い学校間の得点差」の拡大というトレンドを見落としてはいけないということ、を思います。(日本に特化したレポートPDFPISA 2012 Results in Focusという30ページのPDF

②:学力格差の本場とも言うべきアメリカに関しては最近「ReimaginED: The Future of K12 Education」というプレゼン資料が公開されました。教育の今と将来を50のスライドにまとめる、という主旨のこのプレゼンも一応参考までに。


  • P5 2000年から2011年の間にlow income studentsの比率が各州どのくらい高まっているか
  • P6と9 経済格差→学力格差の話
  • P30-37教育現場で既に起きている変化の種類(学びの題材や最新の情報との触れ合い方、学習者のbehavior(態度)管理システム、学習者がよりengagedな状態で学ぶ仕組みづくり、学びのアセスメント+評価/認定、成績などのデータ管理システム、教師の育成システム)※必ずしも格差のみに関連した話ではありませんが
  • P53 アメリカ人の2割が95%の富を保有しているの図
  • P55 子どもと貧困と卒業率

(過去の関連エントリー)
「子どもの貧困」と教育 in 日本〜TFAとLIP
【TED】How economic inequality harms societies
「The New Public」を観て思った「教育」の成功の基準

情報格差

最後は上記2つよりももっと主観的なものです。本当はそれを書こうと思ってエントリ-を書き始めたのですが、例のように長くなってしまいました。あと少し。

経済格差や学力格差は情報格差のみが影響しているわけではもちろんないのですが、上記のようにsocial mobilityが従来よりも失われつつあるとしたら、情報でmobilityを少しでも確保することが必要だと思います。にも関わらず「知らない人」は「知らないまま」になりがちな環境が今は存在していると感じます.

以前どこかのエントリ-に書きましたが人が行動(例えば「学ぶ」)をとるためには意志(「学びたい」)を持つことが必要で、そのためには察知(例えば学ぶことの必要性、学ぶ事によって得られる可能性、何を学べるか・どう学ぶかの選択肢の理解、自己理解など)というフェーズが必要になります。

具体的な話で思ったことを説明します。過去3年の間に、自分が大企業文化の世界からベンチャ-の世界にやってきたからか、テクノロジーをはじめとする世の中の変化がその間加速したからか、もともと3年前以前の自分があまりにも世間知らずだったからなのか、どれが理由か分からないのですが(maybe it is all of the above)最近「当時の自分」が知らなかったもの(※)で、「今の自分&今の自分が一緒にいる人達」が当たり前のように毎日使っているものが結構あると意識するようになりました。

「今の自分&今の自分が一緒にいる人達」はここでいうと察知、意志をクリアして行動をしている人達。当時の自分は「察知」すらしていなかった人。察知した上で自己判断して意志を持つ、持たないを決め使わないという行動を取るのは全然ありだと思います。ただ、最近同世代で同じような教育を受けていた仲間でも、とあるテーマや社会の一部については「察知」前の人が多いというこを感じます。

これが情報格差なのかは知りません。必要性がない環境にいて、知らないで過ごす事が別に悪い訳ではないと思いますし。でも、彼ら(=3年前の私)が見ている社会の捉え方、それによって見ている可能性の幅って全然異なるのではないかな、と。

教育格差を是正するためにMOOCの存在が効くかも、という期待などもMOOC初期のときは世間で騒がれていましたが(今もその可能性は私はあると思っていますが)そのためにはそれを、その情報を必要とする人に届ける手段/人/仕組み=「察知」の機会を提供する方法が必要です。ただネットに乗っけただけではリーチできる人間は限定的。3年前の私が今自分の使っているツールや情報を必要としていたかというと可能性は低かったかもしれません。でも少なくとも情報の存在を知っていたら転職を決意した過程や取った選択肢は変わっていたかもしれないと思います。

また例えば最近でも英語を学ぶには海外に行かないといけないと思っている人がいるという話を聞きます(東京都の英語教員留学案についてはTwitterにいくつかつぶやきました)。英語を学びたいという「意志」と「行動」をつなげる手段が「現地に行く」ということだけだと思っているのがもったいないです。もっと多様な手段を「察知」できていたら、可能性の幅は広がるのに、そう思います。

この間自分がinspireされたTEDx TalkをFacebookでシェアしました。そのTalkを話していた渡邊さやかさんのような方の存在や考え方、今では彼女のような考えをする仲間にたくさん恵まれていますが、3年前の自分はこういう同世代リーダーの存在や彼女の唱える考えの存在すら全く知らない人間でした。



この「察知」の可能性を高めるための障壁。「人」側に探す力が足りないのか、それとももはや情報が分散しすぎてて個人では限界がある時代になっているのか。自ら情報を取りに行く力、または何かについて知っている人を見出し、その人と気後れすることなくつながっていく力、をもっと育成する必要があるのか・・・。

OECDとDeSeCo (Definition and Selection of Competencies)が発表した「人間力」の3つの柱は以下の3つが似たようなことを示しています。
  • User tools interactively (examples include language and technology)
  • Interact in heterogeneous groups
  • Act autonomously。
この三つが「人間力」の柱、と。それをどう育成していくか。




最終的に一人の人間の「視界に入り得るopportunityの量の差」と「手を伸ばしている先のopportunityまでに存在している距離の差」の二つに自分は関心があるのだと感じますその差が生まれた場所や置かれた環境によって埋めがたかった時代から、情報や情報を持っている人とのつながりを手に入れることで以前より可能性が広がりつつ時代だと考えるからです。まずは一人一人の人間の「察知力」を最大化する手伝いを何らかの形でし続けていきたい、と考える日々です。



(※)当時の私が知らなかったけれど今では当たり前になっていること






  • 一番のインパクトはフロー系の情報収集の仕方。RSSを使っている自分と使っていなかった自分。私はRSSリーダー(当時はGoogle Reader、今はFeedly)を使うようになってから、ブラウザーのブックマーク機能は一切触らなくなりましたが、3年前の自分からしたら想像もつかなかった変化です。
  • 一つはクラウド関連で作業・共有するためのツール達。たとえばGoogle Drive、Google Doc、Google Form、Dropbox。所属組織のリソースの潤沢さにもよるのでしょう。これらに慣れているかどうかが同世代、同じような教育を受けてきた者同士でも別れて来たなぁ、と思うことがよくあります。
  • もう一つは他人と協力/または他人のアウトプットをレバレッジしながら情報を吸収する仕方過去ここでDiigoというソーシャルブックマーキングのサービスについてエントリ-を書きましたが、Diigoに加えて最近お気に入りが最近Quipperでも導入されているIncです(Incは法人向け、個人向けはkippt)他にもTwitterを活用している人だとTweetDeckHootsuiteの活用、記事などのキュレーションの共有だとFlipboardLearnistScoop.It!などのプラットフォームもあります。当時の自分だったら全て??だったでしょう。
  • 最後はMailchimp。メールをMailing Listに発信して反応を待つだけでなく、誰がいつ開封したかなどを継続的にモニタリングしたり、発信内容をクリエイティブにデザインすることができる無料サービスで、とても利用範囲の広いツールだと思っています。たしか2010年か2011年にNPOを運営している友人に教えてもらったのが初めてだったと思いますが当時の自分にとっては「え?何それ?」状態だったのですが、今だと一週間に一度は触っているツールになりました。。