Measure of your worth(あなたという人間の価値)

今日聞いた話で印象的だったこと。
メモ代わりにのエントリ-。
Quality of your work is not a measure of your worth.
仕事の成果=あなたという人間の価値、ではないよ
そういうフレーズが何度か使われた。

「あともう少しで達成できる」「これをしなくては失敗する」・・・自分の内なる声に急かされ、心の「休息」を得ることのできない人間がどれだけいることか。

心を亡くすと書いて「忙しい」。
次の三つが満たされれば幸せになると信じ込む、そういう人が多いという。一つは「professional success(キャリアにおいての成功)」、もう一つは「romatic/family happiness(パートナーや大事な人達に恵まれるという環境)」そして「social fulfillment(誰かのために何かをしているという満足感/他者とつながっているという実感)」
でも、この三つの達成に対して走り続けた人が得られるものは何だろう?この三つが満たされたと感じたときに、彼/彼女は心の休息を得られるのだろうか?

その答えはノーらしい。

そういう人は、それらを全て手に入れたと一瞬思ったその次にすぐ、自分の内なる別の声に急かされて動き出す。いつまで走り続けても埋まらない心の隙間を埋めようと、休息の場所を求めて。

自分のいる状態(キャリアにおいての到達点、romantic relationshipの有無やその内容、社会との関わり方)が自分の価値の表れであるという思考がこの「焦りのスパイラル」の出発点となっている。

でも、そうではない。と今日聞いたお話。

Measure of your worth(あなたという人間の価値)は、関わった仕事の成果ではかられるものでもないし、どのようなrelationshipにいるかで決まるものでもないし、誰のために何をしたか・どういう人達と関わっているかで決まるものでもない。


そういう考え方を改めない限り、人は自分のどこかを批判的に捉え、ソワソワした状態から解放されることはないだろうと。



自分は自分の価値をそのような流動的なもので証明しようとしていないだろうか?自分は何のために今の仕事をしている?最近仕事のアウトプットに追われてやや自分を失いかけていたような気がしていたから、タイミングの良いメッセージだったな、と。