飛行機が飛び立つ前に頭に浮かぶこと

これも、1週間前の飛行機の中で下書きしたエントリ-。

こういうのを見るとつくづく自分のブログって、本当に「今書かないと!」という内容のものが多いんだな、と思わされる。数日経つと「へー、こんなこと考えていたんだ、私」状態になるから、忘れっぽいって恐ろしい。

====以下10月1日 SFからNYへ戻る機内で思ったこと====

飛行機の離陸時は大体直前の荷造り作業からくる疲労や直前までのバタバタ、空港までの移動などでヘロヘロになっていることが多い私。でもたまーに起きているときがあって、そういう時はいつも窓の外を眺めながら(窓際のせきを希望)同じようなことを考えている。
「このまま飛行機に何かあって、自分がこの世から消えちゃったら?」
誰の影響なのか(おそらく家族?祖父母?)忘れてしまったのだけれど、いつからか自分にこういう考え方が取り込まれていた。おそらく10代の時から。長旅に出る前に、部屋・家を綺麗にして(できる限り)何かが旅の途中に自分の身に起きて、この部屋・家に戻れなくなったとしたら、という視点で部屋を見渡すことが習慣になっていた。特に飛行機が関わる旅では国内・国外関係なく。

大学1年生の冬休み前。留学のための渡米後初めての日本への一時帰国を控え、寮の備え付けのベッドのシーツなどをすべてきちんとたたみ、ベッドの上に重ねてまとめた私を見て、隣の部屋の子に「どうしてそんな綺麗にして行くの?」といわれたのを今でも覚えている。当時、片言の英語で、「何かが起きて戻ってこれなくなったときのために」と伝えてみたら(当時は冗談で切り返すとかできなかったし)かなり驚かれたのを今でも覚えている。・・・・身辺整理をするって、文化的なものなのかもしれないけれど。

ちなみに、自分は中高時代理系だったけれど物理は苦手だったから、今でも何で鉄の塊が空を飛んでいるか良くわからないし、いつか空の上で壊れて海に落ちるんじゃないかと考えたりもする。

そんな無知に日頃の妄想癖が合わさって、飛行機の中では、結構な頻度で自分がいなくなった後の世界のことを想像したり、今の自分が今の人生において執着しているものってあるだろうか、とかを考えたりしている、ちょっと変な自分。

一人で飛行機乗っていることが多いから、誰もこの一人妄想を止めてくれないし。

私は基本的に、自分に起こっている様々なことはEverything is meant to be ( 起きていることすべてにはなんらかの意味がある)という捉え方をする傾向の強い人間。だから飛行機が地上に戻らなかった場合を妄想するときも、それをどう回避するかというより、それは何らかの意味があったんだろう、という前提で、自分がどうなるかというより、自分のいなくなったあとの世界のことを考えたりしてしまう。(もっと頑張って生きようとしたほうがいいのだろうけれど)

自分が生まれてきたことの意味はどこにあったのかな。とか、31年ちょっとのこの時間に、誰かの人生になんらかのポジティブな関わり方をすることができたかな、とか。16歳でこの世を去った、大好きだった後輩が自分に教えてくれたことなどを思い出しながら。日々が続くなんて保証はどこにもないし、一日一日大切に過ごしていかなくてはいけないな、と。