父の背を見て娘は育つ

ハーバードのビジネススクールだったかどこかでリーダーシップの定義の一つとして「Leadership is about making others better as a result of your presence and making sure that impact lasts in your absence.というのを聞いたことがある

自分がいなくなった後もその影響が残るように、という箇所に惹かれたのを覚えている。

今、海外で生活しながら、ふとたまに日本人という自分の側面を意識する時がある。和食を口にしたときにホッとする時。アートを鑑賞している時に馴染みのある色使いを見て親近感を覚える時。日本に今自分がいなくても、そこで吸収した考え方や感じ方という「自分が日本から受けた影響」は国境を超え、時間を超えて続いている。

同じように、自分がおじいちゃんやおばあちゃんに教わったこと、自分の父と母から受け継いでいる価値観や習慣などについてもたまに意識する。今回はそんな自分が父から受けた影響について。

For your information参考にどうぞ

まず一つ目。いつからか(確か自分が中学生時代の頃)父は私や妹に対して「この記事良かったよ」と新聞記事の切り抜きを机の上に置くようになっていた。正直私達はその有り難みを当時さっぱり理解しておらず(新聞紙は放置すると汚くなるし、そもそもサイズもバラバラでまとめにくい)ほとんど読んでいなかったような気もするのだけれど、就職活動するころになって少しづつその父からの「贈り物」を見直すようになっていた。そして、いつからか、自分の中で、それまで「あまり共通の話題がないけれど優しかった父」が「自分とは比較にならない量の知識や経験を持っている人生の先輩である父」となり、色々な話をするようになっていった。色々な事について父に意見を聞いてみると色々な答が戻ってきた。父の「これ良かったよ、参考にどうぞ」メールは今でも相変わらず続いている。社会人になり、自分でインプットを得ることが増えてきたものの、特定の分野や世代にソースが偏りがちな自分は、父からの「参考にどうぞ」メッセージには今でも新しい視点や刺激をもらうことができている。

社会人生活がしばらく経って、ふと、自分も父と似たようなことをするような人間になっ
たなと思うことが増えて来た社内の同僚に対してチームに対して時には直近話したばかりの友人に対して「FYI (for your information)と相手のことを考えながら短い一文を添えてメッセージを送るという習慣そんなたいした作業ではないけれどその後のやりとりや積み重ねで出来あがっていく関係性などこの習慣から得られたものは自分にとって小さくない父から譲り受けているこの習慣に自分は多くのものをもらっているなーとふと思う

日めくりカレンダー

自分が実際に使っているわけではないのだけれど、自分が小学生位の頃から、実家のトイレには父が気に入って毎年購入している日めくりカレンダーが置いてある。今はリビングにある、何気なくぶらさがっているあの日めくりカレンダーが、実は我が家の道徳の授業的な役割を果たしていたのではないだろうか、と最近ふと思う。

ニューヨークに来て、彼と一緒に日曜にほぼ毎週教会に行くようになって、そこで話されている事の内容や、参加している人達の様子から、家庭内の教育において宗教って結構重要な役割なんだな、と感じるようになってきた。そして、主に働き盛りの大人達が結構神妙な顔して、話を聞いて、自らの日常を振り返る静かな時間を定期的に確保しているのを見てたまに思ったりする。日々のバタバタから少し離れ、自分のしてしまったこと、思考の癖、社会に対する姿勢などに向き合い「自分のあるべき姿/ありたい姿」を考える時間というのを大切にする人間は多いのかな、と。

きっと、子どものころにその習慣を一旦身に付ければ、たとえ反抗期や若い時などしばらくその習慣から離れてしまう時期が人生にあったとしても、いつかそういうことを考えたり、時間を取る人間になっていく。そういうものなのかもしれないな、とも思ったり。

我が家の場合、特に決まった宗教があったわけではないので、この「新生活標語」という日めくりカレンダーに書かれていることが知らず知らずのうちに自分の頭の中に「あるべき姿/物事の捉え方」として染み付いていたのかもしれない(トイレにかかっていれば毎日目にする)。例えばこんな感じのメッセージ「今日全力を尽くさない人は明日の自分にも妥協する」とか「結果が現れるには時期がある そのときを信じ努力を重ねよう」など。

家族の間でそのメッセージについて語り合うこともほとんどなかったし、ただぶら下げてあるだけだったけれど、知らず知らずの間に自分の頭に入り込んでいたような気がする。そして、今異国の地で、多様な人種/宗教/年代の人と触れ合う中で普遍的なものを見出す時、自分の価値観のベースにあるものの多くはこの日めくりカレンダーから吸収していったことがあるのではないかしら、と思ったりすることがある。もちろん日めくりの中のメッセージで父や母が完全に同意していないものもあるのかもしれないけれど、とにかく365日見続けていることの影響は少なくないはずで。毎日聖書やコーランを読んで幼少期を過ごしていた子達と会話するくらいのベースにはなっているのかもしれない、と思ったり。

ちなみに、最近一時帰国したら新しい「早起きの達人」日めくりカレンダー(カレーハウスCoCO壱番屋創業者の方の出版物)が加わっていた。残念ながらこちらの価値観は自分は全く真似出来ていないのだけれど。


日課のラジオ体操

最後はラジオ体操。

自分の記憶のある限り、父は毎日リビングでラジオ体操を黙々としている人。毎朝出勤前に。たまに帰宅後の夜に身体を暖めるためにテレビに録画したラジオ体操を映しながらイッチニイッチニとやっている。もともと趣味が身体を動かすこと(プールとか)のような人なのだけれど、最近は生活リズムを整えるために欠かせない、と言っていて、近年は運動不足気味な娘二人に対して、おススメする頻度が増えていた。

そんな妹も昨年デビュー。彼女も「おススメ隊」に加わった。
ということで、遅ればせながら私は2015年1月半ばからスタート。

第一&第二合わせて7分ちょっと。最初の一週間くらいは身体が何度も「ギシギシ」いっている気がするくらい、自分の身体の硬さに情けない気分になっていた。ジムに定期的に行っていたはずだけれど、人間の身体は複雑で。使っていないところはどんどん錆びていくものなのだな、と改めて。

でも毎朝一日の始まりにラジオ体操をするようになって10日ほど。血行が良くなったり、肌荒れがどんどん減り(アトピーの人にはこれは相当良いと思う!)気持ちが全体的にスッキリしてきて、色々良い事が続いてる。以降毎日ラジオ体操を続けていて、たまに日本人に会ったり話す機会があればラジオ体操を勧めるように自らなってきた。

・・ここでも父の影響が予期せぬ形で現れている状態になっている。


人は一人では生きて行けない。色々な人に影響を受けながら生きている。でも誰からどんな影響を受け、それがどんなタイミングでどのような形で顕在化するかはさっぱり予測できない。「●●なるようにxxする」という教育/育成計画とかは多分あまりあてにならない。きっと、父も深く意識していたわけではないのだと思う。でも娘達は少なからずそんな父の影響を受けている。

親として生きるって凄いな。そんなことをふと考えたりする。


大人になってこそやるべき「ラジオ体操」。実はダイエット法
実は隅々まで考えぬかれてたラジオ体操の効果