今の時代の子たちが学んでいること

先日朝会で同僚の一人が共有してくれたことからの気付きの話。彼女の娘さんの学校のカリキュラム(小学校6年生の社会と英語)が凄かった。彼女(推定40代半ば)もおそらく自分自身が驚いたから皆に敢えて共有してくれたんだろうと思う。その場にいた人(平均年齢おそらく30代半ば〜後半)も驚いていたし、80年代前半の生まれの自分ももちろんびっくりした。

物事の変化のスピードは加速している、という事。自分が見えている世界でどういった影響を及ぼしているかを想像することは比較的容易だ。でも自分から遠い世界である「学校教育」の中については同様の解像度で何が起きているかを想像するのはなかなか難しい。

以前ブログでも書いた「World Peace Game」の話を聞いたときも、「School Hacking」のTEDxの13歳のプレゼンを聞いた時も、「こんな体験を小学校でした子達が大人になったらどんな子達になるのだろう」と思ったけれども、今回も同様だった。自分の記憶の中の「学校教育」との共通点と相違点。自分の将来の子どもが受ける教育はどんなものになっているのだろうか。

以下興味のある方のご参考になれば。

小学校6年生「社会科」のカリキュラム

社会のカリキュラム案内として保護者向けに5ページの資料が配布されていた。その資料の構成で特に以下の※印の3箇所が印象的だった。通年のEssentialなQuestionとは(※1)、その背景(※2)、年間を通して子ども達に身につけてもらいたいスキル、考え方、行動習性、教材、8つに分けられた学習要項(※3)。

まず①。壮大なこのクラスの通年の問いはこの資料によると「What is the American Identity?」だとある。この問いについて具体的な説明が与えられている②。そこには小学校6年生のこの生徒達は「learn to value the struggles that occurred in the United States in the late 19th and early 20th centuries」(=先人達の苦労やそれによって築き上げられてきたものの大切さを学ぶ)をした上で「appreciate the distinction between the dream of America and the reality of America」(=アメリカのあるべき姿と現実のギャップを理解する)に取り組む、とある。加えて大統領選挙のタイミングもあったので「誰が選挙に参加すべきか」というテーマにも取り組む、とある。

・・・・日米の単純比較はできないかもしれないけれど、同じような授業を「日本」でやるとどういう授業になるのだろうか。国の歴史とか文化が全然違うのでそれがベストだとも思わないけれども、仕事や学校で関わりを持つ相手となるアメリカ人がこういう教育を受けている可能性があるということを知るのは結構重要な事なのではないかなとnon Japaneseの人と働く機会が増えた今それを感じる。

更にビックリするのは具体的なカリキュラム説明の③の部分。小学校6年生でこれを???と思うものも数多くある。8つある大トピックにはそれぞれにいくつかの問いが準備されていて、これらの問いが保護者用の配布資料に並んでいる。

年間に6年生が学ぶ大トピック8つは以下の通り。
1: Learning the tools and languages
2: Immigration(移民)
3: Industrial Revolution and the Rise of Big Business
4 The Gilded (金ぴかの)Age: Above and Below the Gilt(メッキ)
5: Urbanization/Life in the Cities
6: Abuses of Big Business; Progressive and Labor Movements
7: Disenfranchised (選挙権を剥奪された)Groups and the Struggle for Civil Rights
8: World War I/U.S. Becomes a World Power

3と4に共通して子ども達が問われるもの:「急速な工業開発はアメリカ人に幸をもたらしたか?それとも災いか?」「大企業のリーダー達は『産業界のキャプテン達』だったのか?それとも『盗人』だったのか?」// 5で問われるもの:「政府は『needy(助けを必要としている人)』を助ける責務があるのかどうか」// 6で問われるもの:「政府は民間事業/ビジネスを規制するべきか」「事業会社が合併し、競争を緩和する動きは許されるべきか」「従業員は暴力なしに経済的権利を獲得することができるのかどうか」// 7で問われるもの:「国籍や民族による平等さは政府が介入しないと得られないものなのか」「1920年代をイノベーションの10年と捉えるべきか、それとも守りの10年と捉えるべきか」// 8で問われるものの一部:「海外への米軍の進出、領地拡大は正当化できるものだったか?」「1914年の戦争は避けられないものだったのか?」「第一次世界大戦で米国が中立性を保つことはできたのか」「民主制を守るために(世界で)米国は戦争を起こすべきか」・・・

・・・いかにもアメリカらしい問いもいくつかあるけれど、全体を見た上での私の第一印象は「ひょー・・」というもの。そして次に思ったのは「こういう問い、小学校の先生がゼロから考えているのだろうか」というところ。すごいですね、今の小学校の先生は!実際にこのような授業をを小学校6年生相手に展開するのは楽ではないのだろうけれども、これがきっかけで子ども達が帰宅後親とこのようなテーマで会話をしているとしたら・・・なんとも素晴らしいきっかけをその先生達は提供しているのだろうかと思ったり。

「正しい解がない」けれど「向き合わなくてはいけない」問題について、自分の頭で考えて、他者に意見を伝え、自分とは異なる意見に耳を傾けるという体験。自分の中高時代の社会科(歴史や公民)の授業でこういうことをした記憶があまりないのだけれども、今まで以上にこれからもっともっと大切なことな気がしてる。今の小学生、、うらやましいな。

小学校6年生「英語」(「国語」)のカリキュラム

こっちはもう少しシンプルな内容。でも同じくらい深い。小学校6年生に「To Say the Name is To Begin the Story」という題材を与え、読み込ませた上で「自分の伝えたいストーリーは何か?」「誰のストーリーが世の中で伝わっていて、誰の声が消されているのか」などを問いかける設計になっている。

年間を通じてこの英語のクラスでは「他者の視点を理解しようとした時に自分の過去の経験がはどういった影響を及ぼすか?」「個人とアイデンティティ(自分らしさ)と社会が定めている自分達のアイデンティティ(自分らしさ)はどう関係し合っているか?」「Privilegeやoppressionがアイデンティティの形成に与える影響は?」「どのようにしたらchange agent(変化を起こす人)としての発信者になれるか?」「なぜ我々の社会には富の不平等配分が存在しているのか?」「Status Quo(現状)とは何か?それらはどう維持されて再生産されているのか?」などの問いに向き合っていくらしい。

・・・社会科のカリキュラムを見た時とほぼ同じ感想だけれども、こういうことを問いかけられ続けながら自分の意見にまとめてレポートを書いていく小学校6年生ってどういう大人になっていくのだろう、と思ったり。将来自分の子どもがこのような学校教育を受けているようになり、自宅に帰宅するなり、このような課題について相談をされたとしたら・・・きっと自分も慌てて子どもと一緒に(むしろ子どもに教えてもらう)勉強することになるのだろう、と思った。

(上記はECFSという学校のスチュワート先生とギッバ先生のシラバスを参考にしました)

一部関連する過去のエントリ-:4つのCとWorld Peace Game(後半部分を参考に)
一部関連する過去のエントリ-:「Character」「Grit」が重要になっている時代(後半部分に「Hackschooling Makes Me Happy」というTEDxトークについての記載あり)