「異なるもの」との出会いを学びへ

先週の水曜日。

以前ブログで書いたボーゲル塾の第一回会合に出席しました。

私の所属する経済分科会と内政分科会が合同で行われた初の会合。40人弱?のボストンエリアの日本人学生(修士以上の方々、社費/公費派遣の方が多い)がボーゲル先生と先生のご自宅のリビングルームでひしめき合いながらディスカッションを行いました。

ボーゲル塾のポリシーから内容は非公開となっているのですがそこへの参加を通じて色々な事を考えさせられました。

例えば自分の今まで持っていた前提。
・日本は借金大国、財政の立て直しが急務である、日本国債の買い手が今の水準で続くとは思えない。中長期的に金利上昇や円の下落が起こるのでは。
・短期的に首相がコロコロ変わることは悪いことである。小泉首相は「良い」首相であった。
これらと真逆の意見を持っている日本人もたくさんいるんだという事実を知りました。

色々なバックグラウンドを持った人が集まった会合だからこその出会いなのだけれども、自分が無意識のうちに自分の中で「すぐに対策が必要!」と置いていた前提に「それって本当にそうでしょうか?私はそう思いません」的な発言をする方と場を共にしたのはなかなか刺激的でありました。

よく考えると自分は日本の大学には行っていないし、社会人になっても経験した勤務先は外資の証券会社とちょっと変わったベンチャー企業。官公庁の方々はもちろんのこと、まだまだ日本人の中で出会ったことのないタイプの方々はたーくさんいるのだ、ということを再認識した夜でした。

別の日にも、縁があって話すことがあった留学中の日本人の方に「日本で仕事をする職についているのならば英語が話せなくたってまったく問題ないと思う」といわれ小さな衝撃を受けました。日本でいわゆる「エリート」と言われる道にいる方だったのでなおさら。

世の中には色々な考えをする人がいるという単純な事実。そして無意識のうちに同じ日本人だから一緒の意見を持っているのではと勝手に前提を置いていた自分。

自分は今まで自分と比較的似た考え方や価値観を持っている人々としか仕事をしていなかったから(プライベートもおそらく偏っていたかも)異なる(というか対立する)価値観を持っている日本人と議論するのにまだあまり慣れていません。(海外に来てしまうとそれこそ多様性だらけなので意見や価値観の相違があったり、議論がおきてもそこまで驚かないのですが)議論する前に「チェックアウト(議論することさえ放棄)」したくなってしまったり。

例えば上記の英語は必要ない、という方に対しては「英語を知っている方が最先端の海外やネットに存在する情報へのアクセスができるからいいと思う」と自分の意見を強く伝えたい衝動にかられてしまったのですが、自分より社会人経験も長い方に、という躊躇も日本人同士だからか、生まれてしまいます。

誰でも自分の信念、価値観、抱いている常識をチャレンジされるのはuncomfortableなこと。

どういう風にその場で振る舞えばお互いにとって学びが多くwinwinの関係を築けるか、group learningの授業で学んだ要素(transformative learning)などを思い出しながら今も模索中です。(とはいえまだまだ「でも私はこう思う」と言いたくなって発言してしまう未熟な自分です)

異なる価値観の人との出会いは人間の学びを豊かにする原材料の一つ。どう活用するのがいいのか、色々な日本人の集まるボーゲル塾、いい訓練場所だな、と感じます。

















それにしてもボーゲル塾での発言を見ていると「ほぅ!」と思う優秀な方々がいます。他人から学ぶ姿勢、ついついおろそかになって、受け身になってしまうときもありますができるだけ能動的に学ぶ姿勢を忘れずにいたいと思いました。