コメディ仕立てになっていた機内安全ビデオがちょっと惜しかった

数日休みを取ってサンフランシスコに行っていたときに書いたブログネタ。なんかあっという間に戻ってから1週間が経ってしまい、やや自分の中では古くなりつつあるけれども。


機内安全ビデオをちょっと工夫していたデルタ航空

今日は久しぶりの飛行機。ほぼ9ヶ月振り。
行き先はサンフランシスコ。半分プライベート、半分仕事のコトリップ。

大学院時代の親友を訪ねるべく、ボストンにいるもう一人の友達と、現地で三人で集合する計画で。まともな夏休みを取らなかった今年のほぼ初のお休みとなっています。3月に今の仕事での正社員ステータスになってから初めて取得した、まとまった休暇(といっても2日だけど)なので、なんだか少し深呼吸。

スマホで仕事のメールは一日一回しかチェックしないぞ、と心に決めて、搭乗したデルタ航空機の中の話。離陸前の、恒例の機内安全ビデオのアナウンスが流れてたときのこと。

その手のビデオは、飛行機に乗ったことがある人は知っているように、大切なのだろうけれど特に面白みのない内容で、一度聞いてしまったら、二回目以降は、どの飛行機に乗ろうが、あまり新しい刺激が得られないものであり。いつもはあんまり意識していないダメな私なのだけれど、今回は読む本も聞く音楽を持ってきていなかったので、ぼんやりと自分の目の前の小さな画面を眺めることにした。

すると、意外なことに、ビデオがコメディ仕立てになっているではないですか。

そういえば、ヴァージン・アメリカ航空会社が画期的な機内アナウンスをするので話題になっていたな、と思いだす(ダンスでミュージカル風にノリノリの同社のビデオはこちら)。皆、競合他社を見ながら、同じような「新しいこと」に取り込むのだなぁと感じたり。

ヴァージン・アメリカ航空会社のビデオに比べたら全然保守的だったデルタのビデオ。正直、ちょっと微妙だと感じたオチもあったし、自分が理解できなかった文化特有のジョークもあったけれど、全体的に良くできていたのではないかなと思う。実際最後まで自分は見てしまったし。(しかも帰りも見てしまった)


でも、全員が見ているわけではない


でも、途中で気づいてしまったのだけれど、自分の席の列の人でこのビデオを見ている人は行きは誰もいなかった。本を読んでいる人、荷物を整理している人、すでに寝ている人。(帰りは隣の二人の人が見ていたけれど)

きっと多くの搭乗客の頭には「離陸前のアナウンスには有益・興味深い・新しい情報がない」というイメージが刷り込まれているのだと思われる・・。

デルタ航空はコンテンツ開発時、見る人の気持ちを想像しながら、試行錯誤を重ね、フィードバックを得ながらつくりあげただろうけれど。この場合、プロダクト(この場合はビデオのコンテンツ)をいかに改善しても、作り手の本来の目的(一人でも多くの乗客に安全面て重要な情報を届ける)は達成されないんだなー、と思ったり。

「いかにデオのコンテンツを興味深いものにするか」ではなくて「いかに離陸前のタイミングで、画面に意識を向けてもらうか」に取り組んだほうがいいんだろうね。または、画面を通じて情報を伝えるというところから疑う必要があったりも?


課題の設定の仕方次第


で、特にこのエントリ-にオチ(「So what」)はないのだけれど、ぼんやりしている私が思い浮かべた、別の状況との今回の共通点。今回のように、課題設定の内容次第で解決策に対するアプローチの幅や焦点が変わるんじゃないかなーと思ったシナリオについて備忘メモ。

「どのような構成の○○研修を提案するか」ではなくて、「いかに、○○というスキルを伸ばす場が必要だと理解してもらうか」。そう課題設定すると、意識の矛先は「学習者にとってベストな学びの場を共創する気持ちになってもらうか」になるなぁ、とか。

「今まで水にお金を払うという習慣がない消費者層に、綺麗な飲料水をどう売るか」ではなくて、「汚染された水ではなく綺麗な飲料水を飲むことが中長期的に良いということをどうやって理解してもらうか」。そう課題設定すると、意識の矛先は「水というものに対してお金を払ってみようかという気持ちになってもらうか」になったりとか。

あとは「良い」プロダクトやサービスを創っただけれではlast mile problemの解決にはつながらない、というSendhil Mullainathan教授の話や、AcumenのレッスンであるGreat technology alone is not the answerのことを思ったり。


最近ブログあんまり書けていないな・・