「最貧困女子」を読んで

「最貧困女子」

「最貧困女子」(鈴木大介 著)

週末に会った人にこの本を勧められた。日本では最近良く「女性」x 「貧困」が話題になっているということはなんとなく知っていたけれど、紹介してくれたその人はこの本には「別の次元」の現実が描かれていたと言う。

出版は昨年の9月末。筆者の鈴木さんはジャーナリストで、彼が似たようなテーマで既に何冊も書籍を発行していることを今回知ることとなるが、私にとってはこれが一冊目。

Kindle上で印象に残ったフレーズをハイライト:
  • 「女性の低所得層が増えるほどに、低所得と貧困の境界がわかりづらくなり、その中でも殊にセックスワークの中にある貧困女性が一層不可視状態に陥ってしまう」(「総括」より)
  • 「貧乏と貧困は違う」
  • 「セックスワークの『上層』を見ると、その中にある貧困が見えなくなる」
  • 「報道されている事例は・・彼女らの困窮を伝える。にもかかわらず、なぜか貧困の当事者への風当たりが弱まっている気がしない」「猛烈な違和感」(「貧困女子報道への違和感」より)

despairを感じたとしても

少し前に読んだ「女子高生の裏社会 - 『関係性の貧困』に生きる少女たち」の直後の感想を思い出す。今回は「関係性の」という形容詞の無い「貧困」そのものにフォーカスした内容だった。何も知らなかった私がざっくり捉えていた世界は実はもっと多様で複雑なものだった。

そしてAcumenのマニフェストをふと思い出す。Acumenでは途上国における貧困層と言われる人達と仕事をしている。その第一段落はこうはじまっている・・「It starts by standing with the poor, listening to voices unheard, and recognizing potential where others see despair.

私がこの本を読み終えて最初クラクラしたのはおそらくこの「despair」の部分を感じたからだと思う。鈴木さんも本書のあとがきの中で「本音を言えばルポライターとしての僕の心情は、もう限界だ」と書いていた。

でも鈴木さんの本のお陰で「listening to voices unheard」の一部がこうやって海の向こうで世間知らずの自分に届くこととなる。この課題について向き合ってみようという日本国内の人が一人でも増えたかもしれないし、既に取り組んでいる様々な人達をつなぐきっかけになったかもしれない。

私が今ここですぐ何かできることはないかもしれないけれど、この本を紹介してくれた人のように、この本/取り上げられていた課題の存在を共有することからはじまるのではないかな、と。

鈴木さんの他の本も読んでみよう。
まずは興味を抱き、より現場に近い情報に触れることから始めてみる。

ちなみに「貧困」テーマだとSendhil教授の本「Scarcity」を購入したまままだ読んでいなかった・・・「Scarcity: Why Having Too Little Means So Much」(2013年9月)今年中に読もう。


過去エントリ-:「女子高生の裏社会 -『関係性の貧困』に生きる少女たち」を読んで
過去エントリ-:Sendhil Mullainathanという行動経済学の教授
過去エントリ-:Being interestingではなくbeing interestedでいるために