米大統領選挙の1週間前のことを振り返ってみた

20時間少々のワシントンDC出張からの帰り道。住み始めて3年の街、マンハッタンへ。
自分にとって「あぁ、家に帰るんだ」という実感が既に沸く街となった、マンハッタン。

日本の成田エクスプレスや新幹線のレベルとは程遠い、グラグラゆれる「高速」列車の中での細々としたwifiを活用中。日々に追われあっという間にトランプ次期大統領の誕生が確実になった「11月10日のショック」から早三週間。(翌日に書いたエントリーはこちら「2016年11月9日 ニューヨークにて 」)

その選挙前にfacebookで投稿したことを、ここにも記しておこうと思っての、今回のエントリー。そう、なんだかんだいって4年も続けているブログだけれど、今年はなんと10回しか書いてなかった。たくさんたくさん人生のインプットはあったはずなのに。

以下は11月2日に一部の友人に共有した投稿。この段階では私の周りやこの記事にコメントしていた人たちの多くはヒラリーの当選を信じていた。
#Iamwithher
それにしても、来週火曜の大統領選挙ほど、時代の流れ、世界の分立を象徴してるものはないんじゃないかな、と思う。もはやどっちが勝つかは半々な状態。
著名な起業家ピーターティールのトランプ支援&演説をうけて、別の起業家VCMark Suster氏がこんな強い主張を含めた記事を書いていた。  
今回の選挙は根本的に、社会の構成員の一人として、あなたは何を大切にすべきだと思いますか、といった価値観が試されるものだと私は思っていて、だからこそ、どういう結果になるかとても興味がある。Voices unheardだったものが見える化されたとき、既存の仕組み上で「勝者」となっていた人は何を省みるのか、という点で。
一方で両候補者とも話題にあげるトピックが狭すぎて全くもって残念で足元拡大してる社会問題にもっと目を向けないとというのが先週末に書かれたニコラス・クリストフのNew York Timesの記事「3TVs and No Food: Growing Up Poor in America
この記事はジャクリーンも共有してたし、一方で貧困状態にある家庭の描き方にも課題があったのでは、という同僚の意見もあった。自己責任論が強いこの国で貧困問題を語るには私たちが活動してる途上国の貧困問題を語る以上に様々な配慮や工夫が必要になる。
私が投票する権利があったらless evil of the twoでやはりヒラリーでもこの国の社会問題の解決他の国も特に様々な分野で中途半端にアメリカ流を取り入れ影響されている日本には国やトップダウン型の旧式のリーダーシップを待ってる場合じゃないというスタンスは変わらない
という流れで、私が理事として微力ながら関わらせていただいてるPIECES【Pieces / ピーシーズ】 (日本国内の貧困にまつわる課題や、その影響を受けている子供達に向き合っています)のクラウドファンディングについてもシェア。「虐待・貧困の中を生きる子どもたちを支える人材を育成したい!」12月27日までです。
ただ毎日やるべきことをコツコツやるのみ。みんな様々なところで、様々なかたちで頑張っている。私は私の場所で、たまに対面で、たまにバーチャルで。
そしてこういうことに関してアンテナを張り、様々な意見を交換できる仲間に恵まれてることに改めて感謝。感謝。
さて、仕事しよう。

選挙後に色々明るみになった情報を見ると、自分の上記の今回の選挙に対する見方がいかに不十分だったということが分かる。たとえば、オバマケアの費用負担があまりにも生活を苦しめていたということが大きなきっかけとなってトランプに投票した人たちとか、少なくないことが選挙後によく報道されていた。

彼らにとっては「社会の構成員としての価値観」といったことを言っている場合ではなくて、日々の生活がかかった上での意思表示のひとつだった。そういう人たちのことを、教育の機会にも十分に恵まれ、マンハッタンという全米の中でも際立って浮いた存在の街に住み、機会の幅やsocial capitalの有無といった点でおそらく相当恵まれた人たちばかりに囲まれるような職場にいた私はきちんと見えていなかった。見えているつもりで、やっぱり全然不十分だった。

選挙後メディアはトランプに投票した人たちには色々ある、というニュアンスで伝えるようにしている。選挙前と選挙後で「トランプに投票するような人」が指すものが変わったのは本当興味深いと思う。これ、Brexitとちょっと違うところ。

二回目の大統領候補者討論の時