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チームを育てるマネージャー

最近ちょっと思うことがあり、備忘のため記録しておこうと思います。
プレーヤー出身のマネージャーの課題 以前日本で働いていたときに、企業でのリーダー育成の文脈で「プレーヤーとして前線で価値創造に奮闘していた人が、マネージャーに昇格した時に、結局自分で全てやってしまおうとして結局下についている人やチームの他の人をEmpowerする機会を奪っている」という話を聞くことがありました。(その方が早いから、その方が提供する価値の質が短期的には高いと思っているから、など理由は色々)
自分は当時、そういう学びの場を講師の方やコンサル先輩の方々と一緒にデザインしていた立場にいたわけですが、この話、頭で理解していたような気がしても、どこか遠い世界の話に感じていた部分が実はありました。
「確かにプレーヤーとしてずっと働いていた自分の目線からみても、人に任せるよりも、自分が直接引き受けてお客さん対応とかしちゃうかも・・」くらいに思っていたり。
きっと、自分自身がそれまで比較的上司に恵まれた社会人人生を送っていたためか(=自分に成長機会をドサドサと与えてくれる上司に囲まれ)そもそも自分にマネージャー経験がなかったためか、と今となっては思います。
身近にいるロールモデル ところが最近「三人+契約パートタイムのリモートの仲間一人」という私達のチームのリーダーを間近に見ながら、ちょっと分かったことがあります。
彼女のマネージャーとしての強みはチームメンバーの力を120%引き出す「触媒(カタライザー)」としてのパフォーマンス(と私は理解)。
やろうとしていることの大きさに比べてチームが小さすぎるからか、ある程度組織構造が安定している会社の他の部隊(会社は2001年創業)に比べて社内ベンチャ-的な要素がある部隊だからか(私のいるチームは2009年にその今のマネージャーが一人ではじめたもの。2012年にようやく二人目を追加、私は2014年から)・・・とにかく仕事をふるのが上手いのです。
しかもあまり内容が詰まっていない状態でとりあえずやってみて、という感じなので(ほぼWHY部分のみ)私達は枠組みからつくっていかなくてはいけないし、もちろん中身も全部やる(WHAT, WHERE, HOW, 社内の誰を巻き込むべきかのWHOも)。
これはおそらく彼女も意識しながらやっている成長機会の提供。
彼女からの学…

街中でふっとクラシック

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本当は「ふっ」といった優雅なものでないのだけれど(並ぶし、混んでいるし)でもマンハッタンではフラリとクラシックに触れることのできる機会がちょこちょことあります。先日もジュリアード音楽院の公開発表会に週末ふらりと座ってきたところでした。

そして今週の月曜のメモリアルデー(祝日)。先週から同居生活をしている大家さんに誘われて、教会でのフリーコンサートに行ってきました。

New York Philharmonicが毎年メモリアルデーに実施しているというこのコンサート。Upper West Sideのコロンビア大学の近くのSt. John the Divine教会で行われています。

この教会の中には一度入ってみたかったのでそれも楽しみでしたし、演奏がチャイコフスキーだというのも楽しみでした。(私のお気に入りはチャイコフスキーのバイオリン協奏曲ニ長調35。恩師に紹介してもらった映画「オーケストラ!」の影響です。(2009年のフランスの映画「Le Concert」



そのメモリアルデーのコンサート。

20時演奏開始、19時開場。並び始めたのは16時。18時頃に無料チケットが配布され、その後も結局席確保のため、同じ所で待つという状況。

折りたたみ椅子を大家さんが準備してくださったのですが(さすが、3年目で慣れていらっしゃる)、周りを見たら同様に準備万端な人達が多くいました。5時くらいに後ろを眺めてみたら長蛇の列が!4時に到着した時は既に前に並んでいる人が数十人はいたので、本当に有名なイベントなのだと思いました。

列に並んでまで何かを楽しみにするって久しぶりでした。

最後に「並んだ」体験は去年の7月の独立記念日の花火くらい昔になるかもしれません。(年末のタイムズスクエアはこのような武者がいます、私はこれには参加しませんでした・・これからもする気合いが出せない気がします・・)前回の花火の後の感想は「来年は(独立記念日の花火は)もういっかな、笑」というものでしたが、今回のコンサートの感想は「来年も行かなきゃ!」というものでした。

3人で列に並んで色々話していたせいか、あっという間に3時間が経ち、マンハッタンでは比較的有名な大きな教会にワクワクしながら入って行きました。



目玉はチャイコフスキーのSymphony No.5 in E minorです。

1時間ちょっと(チャイコフスキー以外…

「仕事」と「休息」と

今日、同僚にとある記事を紹介されました。記事のテーマは「仕事」と「休息」の関係性の進化。その記事を自分で読んでいなかったので、帰宅後読んでみたところなかなか興味深い記事(かつ、一度ではすんなりと意味が理解できなかった記事)だったので、ブログで整理してみることにしました。「Nice work if you can get out - Why the rich now have less leisure than the poor」(2014年4月19日号The Economist)

記事の内容意訳です、正確には元記事をご覧下さい
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・20世紀のはじめ、上流階級にいる人間に「週末に休む」という考え方はなかった。基本的に毎日が休息日であったようなものだったから。一方で、当時の貧困層は週64時間労働の人が平均的であったという調査結果もあるくらい。労働時間の長さと社会的地位には半比例の関係があった。(ちなみに週●時間という計算に私は慣れていないので、一応計算してみると朝9時から18時まで働いて昼休みが1時間ある職場だったら、週5日で40時間、週7日働いたら56時間)

しかし過去1世紀の間に、PoorよりRichのほうが働く時間が長くなった(記事では、より高学歴な人間を「Rich」と表現している)
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・そのような流れになった背景の説明要因の一つは「Substitution effect(代替効果)」=高給取りであればあるほど、仕事から離れることのコストが高くなる=休息を取ることのコストが高くなる(☆これは、有給制度がある人は違うような気がするけれど)

・もう一つは「Winner-takes-all」な社会の風潮=イノベーションを起こし、競合から抜きでた存在でいることが大きなリターンを生み出すという傾向、これは企業という単位でなくとも優秀な人材に対しても見られている流れだという。(☆「仕事ができる人には仕事が集まる(そして、その人の経験値/労働市場での価値はどんどんと高まる)」ということだと理解)

・面白いのは一つ目の「Substitution effect」はある程度の収入水準を超えた人間には当てはまらない(=ある程度収入がある人は、仕事から離れてコストを払って休むことを厭わない)という考えが経済学者の間で主流だったらしいのだけれど、近年は、これが当ては…

久しぶりにMOOC関連の投稿

自分がMOOC(といっても、ハイブリッド型なのでちょっと非定型モノですが)を作る側の人間になってから、以前に比べてMOOCに関する記事を読まなくなりました。

おそらく、一年ほど散々MOOCに関する色々インプットを得て、「2013年はMOOCにとって面白い年でした」を書いてからは、「MOOC」とひとくくりにすることの無意味さみたいのを感じるようになったからだと思います。

過去1年の間の変化(自分の理解/考え方) 思えば、一番最初にMOOCのことをブログに書いたのは2012年の10月。このときに初めてMOOCという単語を聞いたのだと思います。このときは高等教育の学費の高騰というテーマについて書き、その一方で最後に紹介しているのがxMOOCじゃなくてcMOOCのSiemens氏の引用であったりと当時の自分の知識のちぐはぐさが若干微笑ましい内容のエントリ-。

その後だんだんと「MOOC」ワールドの全体像を見るようになり、昨年9月に書いた「cMOOCとxMOOC」のエントリ-を書く上で重要だった「Piaget教授の構成主義とPapert教授の構築主義(2013年2月)」に対する理解であったり、xMOOCの代表となるCourseraを含むスピーカーが登場したカンファレンス参加であったり(前半後半)・・・大学院卒業後には「MOOC関連のニュースを追う前に」(2013年7月)も書きました。

MOOCはあくまでも手段 今は「MOOCを実施すること」が目的ではなくて、ビジョンを実現するための手段と考えているので、あまりばっくりとまとめた「MOOC」がどうだ、ということに興味がなくなったのかもしれません。

高等教育機関に既に存在するコース(with教授)の無料公開ツールとしてのMOOCも実はあまり自分の個人的な興味範囲でなかったりもします。

むしろそれより一風変わった面白い「MOOCの使い方」に出会うとワクワクします「あ〜、そうやってあなたはMOOCを使っているのねー」みたいに。例えばThe Museum of Modern Art(MOMA)がCourseraのプラットフォームを使ってコースを提供していたり、大学と提携したLearning by Giving FoundationがMOOCを通じてどのように寄付を有意義に実施することができるかを学ぶコースを提供していたり(EdXプラ…

Sendhil Mullainathanという行動経済学の教授

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ハーバード大の経済学教授のSendhil Mullainathan氏。最近存在を知った刺激的な人。若いな、とは感じていたけれど、自分とたった10歳しか違わないということを先ほど発見。WEFのYoung Global Leaderでもあり、2010年のForeign Policy誌の「Top 100 Thinker」に選ばれ、2012年にはWired Magazineに「Smart List: 50 people who will change the world」とされた人。

行動経済学者である彼はideas42というNPO(ミッションは「行動経済学を活用しながらソーシャルグッドを実践し、より大きなインパクトを生み出す」)の共同創設者であり、国際開発の現場においてRCTを広める活動をしているJ-PAL(MIT属)の共同創設者でもあり、MacArthur Foundationのボードメンバーであったりもする。

出会ったきっかけ 彼の話を直接聞く機会があったのは5月15日。場所はハーバード卒業生向けに開催されていたイベントにて。「卒業生」といっても、大半が80年代や90年代に卒業されている方々で、現学長のFaust教授がわざわざマンハッタンまでやってきたこのイベントの主旨はおそらく寄付金集め。参加者が寄付を同校にしたくなるような雰囲気をつくり出すための様々なコンテンツやおもてなしがちりばめられた夜だった。

それに参加費を払って参加した自分。もともと、仕事のために「Alumni(卒業生)」戦略や「継続性のあるコミュニティのデザイン」を調べようと思っての参加。なので彼がゲストスピーカー2人のうちの一人だということは当日会場に行くまで知らなかった。

参加の一ヶ月前くらいから彼の偉業のかけらに触れる機会が何度かあったのだけれども、インド人の名前を覚えるのが苦手な私は、それらとSendhil氏という人物を頭の中でつなげることができていなくて。当日彼の話を聞きながら、プログラムに記載されていた彼のプロフィールを読んで、ようやく点と点がつながった、という状況。

(☆)イベント前にあった「点」:一つはアキュメンのロンドンチャプターのメンバーが書いていたブログ「Scarcity and the bandwidth tax」そして、もう一つは自分が担当していた「Social Impact…

ブログを書くということ

人によってそれぞれ存在する「私がブログを書く理由」。

私の理由は備忘記録のため、振り返りのため、受け取った情報を統合するため。

一番最初は大学院で学んだことを整理することを目的にして始めたこのブログ。大学院時代、ニューヨークで働き始めてからというもの、日本人と日本語でじっくり話をする機会が圧倒的に少ないこともあり、ブログは自然と自分の母国語である日本語で思考を整理するため場所にもなっていく。
英語でインプット/アウトプットすることに費やす時間:日本語でインプット/アウトプットすることに費やす時間、おそらく最近は9:1くらい。ブログを書かない時は95%:5%にもなるのではないだろうか。スカイプで日本語を話す人と会話する機会が出来ると、色々な意味で嬉しい&楽しい。

と、今の自分にとって不可欠な要素となりつつあるこのブログ。

有名なジャーナリストMalcolm Gladwellの「Outliers」という有名な本に提示されているとされている10000時間の法則。(最近はそれを否定する意見が出て来たり、それにMalcolmが反論したりと面白い動きもあるらしい)自分が一つ一つのエントリ-を書くのに使っている時間は平均しておそらく1.5〜2時間。そして今まで書いた記事が269。つまり、ブログを書くという筋肉トレーニングに要した時間、540時間前後。Masteryに10000時間必要だとしたら、ようやくその道のりの5%ほどにいるということになる。
冒頭に書いたように自分がブログを書く理由は別に「ブロガーとして極める」ことではないので、何%であろうが別に気にしないのだけれども、こうやって気付いたのは、これって少なくない時間だなということ。
ジムに定期的に通う人が怪我や出張などでしばらくジムに行けない時に調子が狂うのと同じで(ちなみに私の父は東京に居る時はほぼ毎日プールで泳いでいるけれど、仕事の関係で行けない時は辛そうであったりする)私も一定期間ブログが書けていないと調子があまり良くなかったりする。
特にインプットがある程度入ってきているのにアウトプットが出来ていない時。なんだかソワソワするし、自分の頭の中に入って来たものが、きちんと消化できないうちに溢れ出て、消えてしまうような気がしてしまう。
ブログに書いてもどうせ自分が書いたことすらすっかり忘れてしまうのだけれども、一度ブログ…

マンハッタンでの5月

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今日は5月末とは思えない天気で、同僚が「もう5月末なのに信じられないね」と言っていた。そっか、もうすぐ5月も終わりか。ありきたりの感想だけれど「今年も本当に早く日々が過ぎていく」

今月足を運んだ「マンハッタンらしい」イベント達。

①ブルックリン美術館
「Ai Wei Wei: According to What?」


②ジュリアード音楽院
Pre College(高校生)の年度末公開発表会


無料でフラりと入れるという発見。

③リンカーンセンター近くの
Francesca Beale Theaterでやっていた昨年の映画「The Immigrant」


④GiltのAnnual Warehouse Sale

滅多にNYで買い物をしたい気分にならないけれど、この日ばかりは友達とウキウキ。

他にもうちょっと真面目なイベント、①コロンビア大で主催されていたSocial Enterprise Programsの「Beyond the Pioneer: Getting Inclusive Industries to Scale」(直近発行されたレポートをテーマにしたもの)、②コロンビア大の教育学部に匹敵するTeachers Collegeが主催していたTC ETC (Ed Tech Conference)、③イントレプレナー(企業に属する「起業家」を指す)をテーマにしたカンファレンスTIL(The Intrapreneur Lab)に参加。



The Intrapreneur Lab from Business Fights Poverty on Vimeo.


5月の最初の週末はボストンにも行ったのだけれどそれは別のエントリ-にて。

ちなみに、思ったより早くH1Bビザが下りたという報告がありました。これで、無事H1Bビザ所有者としてアメリカに残って働くことができます。これが確定したので、アメリカ国外に出ることも可能になりました(以前から出ることは可能だったのですが、出たら戻れないという状況でした)。めでたしめでたし。

8月1日からの住居を探すのが次のプロジェクトになります。去年10月から生活をしている今の所と同じくらい恵まれたところがあるといいのですが。

つながりが生まれるきっかけ、強まるきっかけ

グループがグループとして力を発揮するために乗り越えなくてはいけない7つの矛盾 (① Paradox of identity ② Paradox of disclosure ③ Paradox of trust ④ Paradox of individuality ⑤ Paradox of authority ⑥ Paradox of regression ⑦ Paradox of creativity)。大学院で学んだこの考え方を最近たまに思い出します。特に②と③。(過去エントリー
なぜなら同じように個と個の人間関係においても「矛盾」って存在するな、と感じるようになってきたから。自分にとってかけがえのない日本にいる仲間たち、海外にいる間に出会った(対面、バーチャルで)仲間たち。彼らとの日々のやりとりを通じて考えるようになったこと。
それは、一人一人の持っている「強い何か」が人間同士のつながりを創ってくれる一方で、そうやって構築された関係を深いもの・継続するものにするために重要なのは「お互いの脆さ」ではないかな、と。強さと脆さとが共存していることが安定した絆を生むのかもしれない、そんな考え。
この「強い何か」とは、それぞれがやってきたこと、これからやりたいこと、やるべきと考えていること、そのために欲していること。その背景にある考え方や行動の軌跡。そういった、その人個人の「らしさ」を際立たせる強いストーリーや想いのこと。これらのどれかが伝わってくることが、人と人が(特に遠いところにいる人間同士が)つながるきっかけになったりする。
でもそれだけだと何かが足りなくて。

物理的にも時間的にも距離のある二人の人間を本当の意味で継続的につなげてくれるものは、お互いの弱い部分、悩んでいる部分、恥ずかしい部分に対する理解の存在だと思うのです。ここに存在する小さな矛盾。
面白いな、と思うのは、こういう関係にある個人同士が鏡のように相互に反応し合うというところ。相手が少し弱い部分を見せてくれることをきっかけに、自分も見せようという気持ちになる。または、自分が落ち込んでいるときに相談するから、相手もそういう状況になったときにこっちを頼ってくれたりする。プライドなどが邪魔して自分からShareできない相手から、その人の深い部分をShareされることは滅多にない。逆も然り。
きちんとした信頼関係が…

ボランティアリーダー達と自分:10のヒント

今の仕事は7割強コース関連(コンテンツ開発、コンテンツ執筆、マーケ、実施、評価)2割弱くらいがグローバルチャプターの活動サポート。その後者において、組織運営の在り方やメンバーのモチベ-ションを維持する仕組みづくりのことをよく考えます。

以前のエントリ-で書いたように、Acumenのチャプター運営者達は皆ボランティア。フルタイムで忙しい仕事を抱えながら、色々クリエイティブに地域のコミュニティを巻き込むイベントを企画し、実行してくれています。

世界各地の23の都市に存在するチャプターには大体2人くらいのChairと呼ばれるキーパーソンがいて、その人達のもとで少ないところは3人くらいから多い所は45人ほどのチャプター委員会によって構成されています。

最近の自分とボランティアリーダー達との関わり 私が直接コミュニケーションするのは主にChairと呼ばれる人達。彼らはボランティアでありながら、チャプターという全員がボランティアで成り立つ小さな組織の「COO」的な立場にあります。トップダウンでチャプター内で意思決定がされるわけではありませんが、組織全体の方向性を議論する場をつくることに意識を向けたり、皆で一体感を持って活動がスムーズにいくかどうかに気を配ったり、必要なリソースはどういうもので、どこからそれを持って来たらいいかなども意識したり、中長期的に次のバトンを渡す相手のChair候補の採用や育成にも意識を向けながら彼らは日々を過ごさなくてはいけません。

もちろん、企業を経営したことのない人が大半である20代半ばから30代半ばの年齢層にいるチャプターChair達にとって楽な仕事ではありません。Chairとして残る人の多くはそのチャレンジを受けて立つ意欲やスキルがある人が多く、彼らは試行錯誤を続けます。年一回ニューヨークで集まるチャプターリーダーリトリートでは、グロービス時代に見ていた「日本企業における部長研修」さながらの「うちの組織ではこういう組織の課題があってだね・・」とか「こういう施策を導入したら上手くモメンタムが高まった」「ふむふむ、そちらのチャプターではそういうことを試しているのだね、実に興味深い」的な会話が繰り広げられています。

で、私はそのようなChair達本人達のモメンタムやモチベ-ションへ意識を向け、物理的/言語的/文化的にばらばらであるもの同士をいかにコミ…